時間は刻一刻とあたしに迫っていた。
だけど――…
「はい。」
コントロールよく投げられたバイクのヘルメットに
あたしは慌ててそれを受け止める。
「海、行かない?」
「え?」
海?
『今度さ。海、付き合ってよ。』
ふいに蘇る
優しい記憶。
「約束、したでしょ?」
そう言ったそうくんは
あたしの手からヘルメットを取り上げると
「うん。似合う。」
にっこりと笑ってポンとヘルメットを撫でた。
ドキドキしてる。
初詣以来、久々会ったそうくんは
やっぱりかっこよくて
優しくて
あたしの心が
再び天秤にかけられる。
でも……
「ごめん。あたし今日大輔とデートなんだ。」
そう言って
あたしはヘルメットの止め金を外す。
「ごめんね。もう、こうやって待ち伏せしたりしないで。」
ダメなんだよ。
「迷惑なの。」
あたしは、大輔を
香苗を、裏切れない。
バイクにヘルメットを置いたあたしは
そうくんを通り過ぎて携帯を取り出した。
時間は10時52分。
どんなに急いでも
もう間に合わない。
完全に遅刻だ。
あたしは発信履歴に手をかけて携帯を耳に押し当てた。
その時――…
力強い腕に吸い込まれて
あたしの携帯が道路に落ち、その拍子に電池パックが飛び出してしまった。
「会いたかった。
海音ちゃんに。
会いたくて―――…」
残酷な程
愛しい声。
例えばもし
この世に『運命の人』が居るとするならば。
その人に出会える確率は
どのくらいなんだろう。
運命なんて
信じていないけど。
ましてや永遠なんて
信じる気にもなれない。
だけど
『会いたくて―――…』
そう言って
あたしを抱き締めるこの腕を
信じてみてもいい。
そう思った。
例えばもし
この世に『赤い糸』で結ばれてる恋人が居るとするならば。
その人に巡り合うまでに
一体何度恋をすればいいのだろう。
『赤い糸』がこの目で見えたのならば
あたし達は
迷わずにその『赤い糸』で結ばれた人と
一生を過ごすのかな。
あたしは
それをあえてハサミで切って
本当に好きな人へと飛び込めるような
そんな
ほんの少しの勇気が欲しい。
ザザン……
遠くで
波の音が聞こえる。
あたしは出来る限り静かな所を選び
口元を隠すように携帯で会話する。
「ごめんね、本当に…。」
『いや、いーよ。大丈夫!じゃあ映画はまた今度な。』
「……うん…。ごめんね…。」
終話ボタンを押して
見渡した先に
防波堤に座るそうくんの後ろ姿が見えた。
大輔に
あたしは嘘をついた。
『おばあちゃんの体調が思わしくなくて…』
うちは
おばあちゃんも一緒に同居してる。
糖尿病を患うおばあちゃんは
最近少しモノボケが激しい。
だけど至って元気だ。
身内を嘘に巻込むなんて最低な女。
いつからこんなに
嘘をつくのに
罪悪感を抱くようになったのだろう。
防波堤に腰を降ろすと
冬の風に
潮の香りが混ってた。
「大丈夫だった?」
「うん。あたし、嘘つくの得意だから。」
「はは、いけない奴。」
久し振りに聞いた
そうくんの笑い声。
綺麗な横顔が
海に反射してあたしの胸を騒がせる。
冬の海は
意外にも穏やかで
澄んだ空気に
より一層、澄み渡って見えた。
「はぁ~、気持ちいいなぁ。」
そう言って防波堤に寝そべるそうくん。
「そんな所で寝たら汚いよ。」
「大丈夫だよ。」
「犬がおしっこしてるかも。」
「げっ!」
慌てて起き上がるそうくんは
明らかに怪訝そうに服をはたいてた。
そんな姿につい、吹き出してしまう。
「笑うと海に放り込む。」
「そしたらあたし死ぬよ?超寒がりだもん。」
あたしの答えに
思い出したように目を見開いたそうくんは
慌ててバイクへと走り出した。
変なの。
予想とは反して
普通に会話をしてる自分に驚いた。
もっと
きまづくなる。
そう思ってたから。
「ごめんごめん。」
「何取りに行ってたの?」
防波堤に立つそうくんを見上げると
「これ!」そう言って砂浜に降りたそうくんは
あたしの首にマフラーを巻いた。
「ずっと返すの忘れてたんだ。ごめん。」
「……別にいいのに。」
砂浜に降りて
目の前に立つそうくんに
あたしはぶっきらぼうに視線を逸した。
だって
目線の高さが一緒で
ドキドキが伝わってしまいそうだったから。
あの日。
今日と同じバイクで
終電に乗り遅れたあたしを
迎えに来てくれた
あの日。
あたしはそうくんにマフラーを貸してあげた。
「マフラー、嫌いなんだよね。」
「そうでもないよ?」
「えぇ!この前と言ってる事ちげぇじゃん!」
あははと二人で笑った。
ねぇ。
このマフラーはあたしの物なのに
そうくんの香水が染み付いてるよ。
だからね
まるで、そうくんからプレゼントされたみたいに
あたしの心は嬉しくなったの。
ザザン…と唸る波飛沫に
あたし達は黙り込んだ。
きっと、お互いに同じ事を思ってる。
脳裏に浮かぶ
香苗の泣き顔――…
揺れる季節に
揺れる心。
波打ち際の防波堤に
長い影が伸びて
地平線の向こうに
涙を隠した。
どうして―――
「キス、していい?」
どうしてあたしじゃないのだろう。
「…うん……」
どうしてもっと
早く出会わなかったのだろう。
重なる過去も
紡いだ言葉一つ一つも
抱き締めたその腕も
全てこの波で
一つ残らず綺麗に流して
世界が君に
染まってしまえばいい。
―――…
重なった唇を離すと同時に
あたしの瞳から流れた
一筋の雫。
「ごめ…っ!」
あたしは涙を見られたくなくて
慌てて立ち上がった。
泣いてしまう程
切ないキスだったんだ。
「海音ちゃん!」
愛しい人の声が
波の音と共に響く。
「海音っ!」
捕まえられた腕が
引き寄せられるようにあたしはそうくんの胸に包まれる。
「海音……。」
ダメだよ。
もう、これ以上
罪を重ね合うのはやめよう。
「俺……。」
ダメ…。
もうやめて。
「海音の事――…」
やめて…。
それ以上、言わないで。
「好きなんだ――…。」
ドサッ!
そうくんの言葉と同時に
あたし達の体は離れた。
「海音……?」
正確には
あたしがそうくんを
突き飛ばした。
『好きなんだ――…。』
世界で一番
幸せな告白は
世界で一番
残酷な告白だった。