村へ着いたばかりの頃は宿題のドリルと読書をしながら過ごしていました。でも、苦手な勉強はすぐに飽きてしまい、気分転換に家の外を探検する事にしました。
 おばあちゃんの家の周りにもたくさんのヒマワリが咲いていました。大きなヒマワリは僕の背丈よりも高く、真夏の太陽に向かって胸を張るように威張っているようです。
 ヒマワリの太い幹の間をすり抜けた先には田んぼのあぜ道が続いていました。
 枯れ枝を杖にして桑畑や水車の周りを散策していると、珍しい景色に胸の中はちょっぴりハラハラドキドキ。 
 そんな僕の姿を村の子供たちが遠くから物珍しそう眺めていました。
 牛小屋の角を曲がった所でバッタリ。突然の出来事に僕も村の子供たちも目玉が飛び出しそうです。
「ウワッ、ビックリ!」
「ウワッ、僕も!」
 その腰を抜かしそうなお互いの間抜けな様子が面白くて、全員が大声で笑いました。ニワトリまでもが驚いて、一緒になって騒いでいます。 
「おめえ、あのおばばの家に泊まっている子供け?」
「うん、夏休みの間だけ」
「何年生や?」
「3年生」
「ほんならこのヒデちゃんと一緒やの」
「ふうん」
「町の小学生はラジオ体操をせんでもええのんけ?」
「ここへ来るまでは毎朝していたよ」
「あそこに神社の鳥居が見えるやろ」
「うん」
「わしらは毎朝そこで体操しておる」
「それじゃ、明日からは僕も行くよ」
「わしは5年生で班長だから、ラジオ体操に来れば、おめえにも平等にハンコを押してやるからな」
「うん」
「そんなら神社の境内へ6時に集合じゃ」
「わかった」
「ラジオ体操が終わったら、裏山へ一緒にカブト虫を捕りに行こう」
「えっ、すごい!」
「あっそうや。おめえの名前は?」
「僕はヒロシ」
「わしはゲン。ヒロシならヒロちゃんと呼べばええかいの?」
「うん」
 僕らはすぐに仲良くなりました。
 体が大きくガキ大将のゲンちゃん、賢くて物知りのカツ君、丸坊主頭でいつもせわしないトシ、小さな声の恥ずかしがり屋はけいこさん、おてんばで男の子よりすばしっこいひさよさん、生意気だけどみんなのまとめ役だったヒデちゃん…。
 虫捕りや川遊びをするうちに僕らは兄弟のようになっていったのです。
 村へ来て二週間目。
 僕は風邪をひいて布団の中で横になっていました。すると新しい友達が全員で揃ってお見舞いに来てくれたのです。
 みんなは不安げに僕の顔を覗き込みます。
「ヒロちゃん、てきねえんけ」
「あんな、今日は夏祭りやじゃ」
「夜中まで盆踊りじゃ。夜店のたこ焼きやりんご飴、景品を狙って射的に輪投げで大賑わい。いちごの氷水がうらの大好物なんじゃ」
「祭りの日は何時まで起きていても怒られないんやぞ」
「それに学校の体育館では子供映画大会もあるや」
「ヒロちゃんの風邪が夜までに治るといいけどのお」
「うららはおめえと一緒に行くのを楽しみにしていたのになあ」
 みんなが僕を心配してくれる事がうれしかった。
 それに村の夏祭りの事もすごく気になりました。
「ねえ、今夜の映画って何かな」
「先生が言うとったけんど、あのな…」
「絶対にしゃべったらあかんちゃ!ほれは姉さん先生との秘密。映画は来てのお楽しみじゃ」
 リーダーのゲンちゃんがトシの口を慌てて塞ぎました。
「でも、ちょこっとだけ話そうかの」
「うん。言おう、言おう」
「おめえらは本当にしょうがない奴ばかりじゃのお。ほんじゃま、ちょこっとだけな」
「うん。ゲンちゃん、たのむっちゃ」
「あんな、先生の机の横でわしが最初に映画のフィルムの箱を見つけたんじゃ」
「うん、うん。ほんで?」
「どんな映画のフィルム?」
「フィルムは外国のネズミのマンガらしい」
「うーん、それだけでは残念ながらうららになどさっぱりもって意味がわからん」
「姉さん先生は映画の題名を『ミキマスオのファンタジア』だと教えてくれたんじゃ」
「はぁ?ますますわからんちゃ。そんなもんが実際にどれほど面白いんかのお」
「わしにもわからんわい。それと毎度お馴染みの怖い映画じゃ」
「ほんまか?今年も『ミミナシホウイチ』とか『ボタンドウロウ』かの?」
「うへぇ、うらはやっぱり恐ろしいのが苦手じゃわいなあ」
「そのくせおめえはいつも一番前で見とるがいや」
「しまった、バレていたか」
 みんなの元気な笑い声がふすまを震わせるほどに響き渡りました。
 やがて、カツ君が不安気に僕の顔を覗き込みます。
「ヒロちゃんも祭りに来られるとええけんどなあ」
「僕、風邪なんてもう治ったよ」
「本当きゃ、おめえ。ひでぇうれしいことを言うてくれるのお」
 本当に体の具合が良くなっていたし、それよりも何よりも僕はみんなと一緒に野山を駆け回りたくてウズウズしていました。
 そこへおばあちゃんが背中を曲げて歩いてきます。
 廊下の板がギシギシ、ギシギシと音を立てています。
「ぼうら、みんなでこれをあがってんでや」
 おばあちゃんが差し出した大皿には真っ白なおにぎりが山盛りに積み上げられていました。
 そして大根とキュウリの漬物、コップとやかんいっぱいの冷えた麦茶。
 ゴックン。これはみんなが一斉に生唾を飲んだ音です。
 その時…。
「おばあちゃんの作ったおにぎりなんて汚いから、僕は食べたくないよ」
 どうして僕はあんなにも心無い言葉を口にしてしまったのだろう。
 それはあまりに思いがけなくて、とてもひどい言葉だったから自分でも戸惑いました。
 今もその時の気持ちが理解できません。
「ほうか、ほんならおにぎりはここに置いておくさけな。みんなで遠慮せんとあがってんでの」
おばあちゃんは急に淋しい顔になり、うつむいたまま廊下を去って行きました。
 ギシギシ、ギシギシ、ギシギシ。
 それはとても重く暗い足音でした。
 しばらくして、けいこさんがおばあちゃんの様子を見に行きました。
「かわいそうに、おばばは泣いていたみたいやじゃ」
 けいこさんの言葉が全員の心に突き刺さりました。
 僕もみんなも悲しい顔。
「町のもんがおばばを泣かしたんやぞ!」
「町のもんがおばばを泣かした…」
「町のもんがおばばを泣かした…」
 おばあちゃんへの自分の愚かな言葉とみんなの叱責の声で涙があふれました。
 急に鼻の奥が殴られたようにキーンと痛くなり、僕は布団の中に顔を隠しました。
 情けなくて悔しくて、みんなに背中を向けたままでうずくまっていました。
 やがて村の友達はおばあちゃんの作ってくれたおにぎりをひとつずつ掴んで、静かに帰って行きました。
 ひと眠りして目が覚めた時、風邪の熱は下がりすっかり楽になりました。
「ぼう、風邪は治ったんかいの」
 僕はさっきの自分のあまりに愚かな言葉が恥ずかしくて、おばあちゃんの顔をまともに見られませんでした。目を合わせないようにしながら、皿の上のおにぎりにかぶりつきました。
「ぼう、おばばのおにぎりはうめえけ」
「…」
 真っ白なおにぎりの中には塩昆布や梅干がどっさり入っていました。
 それは少ししょっぱくて、たくさんの愛情がこもった世界一のおいしさでした。
「みんなと祭りへ行くんやろ」
「うん」
 おばあちゃんは新品の五百円札を僕の手に握らせてくれました。 
 それから僕は何も言わず、逃げるように学校の体育館の方向へ走り出したのです。
 盆踊りの笛と太鼓の音色が神社の森の中をこだましています。
 初めて聞く祭り囃子なのに何故か懐かしい響きに思えました。
 祭りの日は村の外へ働きに出ていた人たちが帰って来たらしく、普段よりも随分とにぎやかでした。
 外国のネズミのマンガは腹がねじれるくらいに可笑しかったです。最年少のトシがもう一回観たいと駄々をこねて姉さん先生を困らせたっけ。
 怖い映画には青白い顔の幽霊が何人も出てきました。ガキ大将のゲンちゃんでさえ、映画のあまりの恐ろしさにひとりでトイレに行けなくなって、体育館の隅でちびってしまったとか…。本当は僕も学校のトイレが不気味でずっとおしっこを我慢していたのです。
 それでも映画が終わって、みんなで手をつないで神社へ歩き出したら、途端にいつもの陽気な気持ちになりました。
 ソースと青のりのいっぱい付いたお好み焼き、頬っぺたが落っこちるほど冷たくて甘いアイスキャンデー。ブリキのロボットや銀玉ピストル、ビニール製の青い目のお人形。
 祭りの夜のけいこさんとひさよさんは浴衣に下駄履きでおしゃれをしていました。朝顔と喋々の模様がよく似合っていて、それもこれもすべては真夏の夜の幻みたいでした。
 夜更けに家へ帰るとおばあちゃんが縁側に座って待っていてくれました。
「ぼう、祭りはおもっしゃかったけの?」
「うん」
「ほらよかったの。腹が減ったやろ」
「うん、もうぺこぺこだ」
 蚊取り線香の紫煙、井戸水で冷やしたスイカの赤と無色透明なラムネ。おみやげに買った屋台の焼き饅頭の黒いあんこ、そしていつもの真っ白なおにぎり。おばあちゃんと二人で食べたから、どれもこれも素晴らしくうまかった。
 おばあちゃんは元気になった僕をいつまでも眺めています。
 久しぶりの人ごみに疲れた僕はおばあちゃんのひざ枕で知らぬ間に眠っていました。
 夏祭りが終わると、村の朝晩はめっきり涼しくなり、そろそろ僕が町へ戻る日がやって来ました。
 みんなとのお別れの朝、校庭のジャングルジムの上では村の友達がいつまでも大きく手を振ってくれました。
 僕もみんなに負けないように手を振り続けました。
 一番仲良しだったゲンちゃんは怒ったような顔で僕を睨んでいます。
 絶対にまた会えるよね。みんなで一緒に遊ぼうね。ずっと忘れないよ。
 気が付けば、いつの間にか僕の腕は見事なくらい日に焼けて、村のみんなと同じ色になっていました。
 そして、最初に来た道をおばあちゃんとバス停まで並んで歩きます。
「ぼう、来年もまたおばばの家へ遊びに来てんでの」
「うん、必ず来るよ」
「おばばは楽しみにしているさけな」
「うん、僕も楽しみにしているよ」
「ぼう、ありがとうの」
「今度はおばあちゃんが僕の家に遊びに来たらいいよ」
「ほうか、ほうか、ぼうはええ子や。ほんまにええ子や。ありがとう」
「ママもパパもおばあちゃんに会いたがっているよ」
「ほうか、ほうか、うれしいのお」
 来る時にはあれほど長く思えたのに、帰りの道のりは半分くらいの短さに感じました。
 別れ際に僕の頭を撫でてくれたおばあちゃんの手は驚くほど細く、小さく、シワくちゃでした。

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