『伊藤先生!』
教材を重たそうに持ちながら
職員室に帰ろうとする先生を呼び止める
『何だい?』
不機嫌そうに低い威圧的な声に怯みそうな自分を押し殺し
『何で私を嫌うんですか?』
昔から気になる事はちゃんと聞かないと気が済まなかった。
でも、伊藤先生に
自意識過剰だと被害妄想だと言われたらそれまで。
でも、まだ少しの良心が余ってた先生は冷たく言った。
『君はこの学費が高い学園に家族に学費を払ってもらう生徒が少ないのが知っているか?』
『‥』
『多くの生徒が優秀という事で奨学金や特待生制度で学費を賄っている
でも、
君はどうだろうか?
家族に学費を払ってもらえる立場にありながら学校には来ず学費の無駄遣いじゃないか。
働く事の金を稼ぐ事の大変さを知らないからそんな身勝手な事が出来るんだ。』
そして伊藤先生は重たい声で
『そんな親不孝な生徒は嫌いだ
悔しかったら学校で勉強をしなさい
本来の君の力はこんなものじゃないだろう』
職員室へと去っていた。
伊藤先生の言う事が全て正しくて
何も言えなかった。
悔しいよりも情けない。
入学当初を思い出した。
科学担当だと挨拶した伊藤先生は自己紹介に自分の人生の事を話していた。
“はじめまして
科学担当の伊藤です。
そして入学おめでとう
挨拶代わりに少しだけ話をしよう
この世の中どうしても貧富の差がある。
自分は幼い頃に父を亡くしパートで低収入の母と年金暮らしの祖母と暮らしていた。
高校進学のために奨学金借りてこの三ノ宮学園に入って
国立大に入って教師になった。
みんなに言わせてほしいのはお金が無くても
夢は叶うという事だ。
頑張ってくれたまえ
自分の人生のために”
あの挨拶はみんなの感動を呼んだ。
何も苦労をせず楽をしようとする私を伊藤先生が嫌うのは当たり前‥
勉強‥しよう。
『ワンワンっ!』
か、買ってしまった‥
学校帰りに弥生のCDを買って興味本位でペットショップに寄った。
売れ筋で大切に扱われる小型犬たちと離れた場所に
少し汚れたゴールデンレトリバーがいた。
埃がついて薄汚れたわんちゃんは私に懐いた。
店員さんに小型犬を勧められる中
私はそのゴールデンレトリバーを選んだ。
寂しそうに尻尾を振る姿にどうもほっとけなかったというか‥
何というか‥
『よし!あなたはラヴね♪』
ラヴ=love=愛
何だかんだで響きが気に入って名をつけた。
翌日、眠るラヴを置いて
家を出た。
小さめの花束とメロンを持って
唯さんの病室に行った。
もう1ヶ月たつのに唯さんは家に帰りたくないと入院し続けている。
私のせい‥かもしれない。
コンコンっ‥
『‥どうぞ‥』
暗い声の応答があり部屋に入ると
私を見ても嫌そうな顔も嬉しそうな顔もせず無表情に壁を見つめる唯さんがいた。
『唯さん‥』
『なぁに‥?』
暗い暗い声が虚しく響く。
『メロン食べません?』
メロンを持つ左手を上げると唯さんは見もせず
『リンゴ‥リンゴが良いな‥』
小さな机に置かれたリンゴを見つけ手に取り椅子に座った。
『リンゴ剥きますね‥』
って言っても残念な事に料理は苦手。
カレーとか包丁をあまり使わないものなら出来るけど‥
包丁があまり上手く使えない。
目の前のリンゴがだんだん小さくなっていく。
皮を剥くはずが下手すぎて身まで一緒に減っていく。
『香玲ちゃん、貸して』
弱々しく差し出された手にリンゴを渡すか迷った。
でも、断るのも何か申し訳なくて渡した。
唯さんの器用な手がリンゴの皮を綺麗に剥いていく。
『赤ちゃんね、名前は慶斗(ケイト)にするつもりだったの』
『そうですか‥』
『慶斗が風邪引いたらこんな風にリンゴ剥いてあげたのかな‥
ご飯作ったりお話したり。
まだ夢見てるの
叶うはずないのに』
“叶うはずないのに”
重い声が痛かった。
だからついバカな事を言ってしまった。
『私が死ねば良かったのかな‥
慶斗くんの変わりに私が死ねば
みんな幸せなのに』
唯さんの見開いた目が
私の目に移った。
“私が死ねば良かったのかな”
唯さんの見開いた目が驚きと寂しさを含んでいた。
唯さんの手に握られたリンゴが布団に落ち
小さめのナイフが私の首に当てられた。
本当に死んでもいいと思った
生きる意味が見いだせなかった。
目を閉じて浮かぶものなど無いはず‥
なのに
浮かんだのは私自身よりも大切なコーキ
私死んだら泣いてくれるかな、悲しんでくれるかな。
閉じた目から流れる涙も拭わず
首に触れるひんやりとしたナイフが刺さるのを待っていた。
生まれ変わったら
私は絶対に
生まれてきたくない。
鳥にもならなくていい、人間はもっとイヤ。
『唯さん‥最後に一つだけ。
私が死んだら豪華なお葬式もお墓も何もいりません。
ただ少しでいい。
嘘でも目薬でもいい。
泣いてください‥
偽りでも悲しんでください』
もう、死ねばいい。
私なんか。
ただ首から血が流れるのを待っていた。
『カレンちゃん?』
目を閉じている私に唯さんの声が響く。
『本当に死んで後悔しない?』
死んで後悔‥
『するかも‥しれない‥』
『まだやり残した事もあるでしょう?』
やり残した事‥
パパとの事‥
コーキとの結婚‥
『あります‥』
『なら刺せないわ』
首からナイフが外された。
と共に吐き気が襲う。
『唯さん‥ちょっとトイレかります‥』
病室内のトイレに駆け込み吐いた。
最近、体の調子が悪い。
吐き気や頭痛など‥
タオルで口を押さえながらトイレを出ると唯さんが心配そうに見つめていた。
『ご飯ちゃんと食べてる‥?』
『あんまり‥食欲なくて。』
『そう‥』
会話がぎこちない‥
唯さんと真っ正面からぶつかった事がないからか
話が続かない。
『じゃ‥帰ります‥』
唯さんに別れを告げ
家に帰宅する。
勉強したいけど、体が拒む。
ベッドに横になり目を閉じると携帯が鳴った。
この着信はコーキだ‥
『もしもし‥』
『あ、寝てた?』
『ううん、寝かけてた』
『じゃ、かけ直すか?』
『ううん、声が聞きたい』
私の精神安定剤。
声も体もコーキという存在が私に元気をくれる。