『手掛かりと言っても、母から話を聞いただけなのですが…』
藍さんが伏目がちに話始めた。
『私の兄は“武士になる”と小さい頃から頻繁に言っていたそうで…。私の父も母も、小さい子供の言う事だからとそんなに気にしていなかったのですが…。14歳になる年の春、“京に行く、武士になる”とだけ告げて家を出てしまって…。』
『…何も持たずに、ですか。』
近藤さんが静かに問い掛ける。
『分りません…。ただ、母の話ではほんの少しの金銭と…母が愛用していた手鏡だけ持って出て行ったと聞かされております。』
『不思議ですねェ…。』
沖田さんが喉を唸らせながら首を捻る。
『武士になりたいなら、道場に入るとか…せめて、木刀くらいは持って出ますよね。』
沖田さんの隣に座る原田さんも、其れに頷いた。
『そうだなぁ…手鏡なんかよりも、よっぽど木刀の方が身を守れるしな。』
その言葉に、藍さんは首を横に振った。
『…兄は、剣術は元より木刀すら握った事がないと母は言っていました。』
『…何、其れ。』
沖田さんが目を見開いた侭、固まる。余程信じ難い事なのだろう。
『…武士になりたいと言うのは、本来の目的を達成する為の口実だろうな。』
土方さんが目を細め、小さく息を吐く。
『兄の名は何と?』
『五十嵐数馬(かずま)と申します。…今はもう名も変えてしまっているかもしれませんが…。歳は…生きていれば今年で20歳に。』
藍さんが悲しげな表情で近藤さんを見つめる。
『兄が…生きているのが分ればそれで良いんです。例え物乞いになっていたとしても、生きていてくれさえすれば…。』
…心の底から溢れる、切実な思い。
其の場に居た誰もが、藍さんの言葉に黙り込んだ。