慶長四年、この年は正月から事件が起こっていました。
慶長三年に内府様が取り成した大名同士の婚姻に、前田様と石田様とが問罪人を派遣するという事件でございます。
内府様はのらりくらりとこれをかわしましたが、秀頼君の治世に不穏な影が近づいていることは事実でございましょう。
そして如月に入り、私は四人目の子を懐妊しておりました。
「小松!
子が出来たと聞いて飛んで帰ってきたぞ!」
殿は近頃、益々忙しく駆け回っていらっしゃいましたが、私の懐妊を知り嬉しそうに走っていらっしゃいました。
そのまま強く抱きしめられ、本当に嬉しそうにしています。
私もそれが嬉しくて、力強い殿の腕の中で幸せを噛みしめました。
「しかしまあ、次から次に子が出来るものよ。
小松が嫁に来てなかなか子が出来なくて側室を持つ騒ぎになったのが懐かしいわ。」
「あの頃はまだ若うございましたもの、お恥ずかしい限りで…。」
「まあ、可愛らしい一面を知れて楽しかったがの。」
「あの頃のことはお忘れくださいませ!」
「いや、良いではないか。
小松はいつまでもそのままでいて欲しい。」
「はい。」
「まずは元気な子を産んでくれ。」
懐妊の発覚から、殿はお務めの合間を縫っては訪れてくださいました。
しかし、弥生三日に老中の前田加賀大納言様が病でお亡くなりになると、殿は上方と国許との往復の回数が増え、私は殿にお会いできない日々が続きました。
その間、留守を任された私は身重となっていたものの、頼綱の後を継いで家老となっていた頼康と領内の統治に勤めておりました。