意識を手放す、その瞬間まで。

――その、時まで。



俺は手を伸ばした。


ああ……地獄の日々が、始まる。

頭の隅では、分かっていたんだ。




「何かあったら、すぐ呼んでね」

バーが開店する時間帯。

咲良さんが入ったことで、お客さんが増えたって言ってたっけ。

彼女目当ての男性客が増えて困ってるんだ、と苦笑いのオヤジ。


それでも客が増えたことは嬉しいって笑ってた。



「……大丈夫」

「無理しちゃダメよ」

心配そうに顔を覗き込む咲良さんに、どこか美桜の残像を重ねながら。


美桜の香りが残っていた、バスルームへと向かう。


「……」

きっと、咲良さんが掃除をしてくれたんだろう。

白く磨かれたバスタブ、換気をしたのか……壁も床も乾いている。



あの香りは……まったく残っていなかった。