僕等は彷徨う、愛を求めて。Ⅱ



「なんで……っ」


ありえない。なんなの、この不意打ち。


「なんだ、有須けっきょく言わなかったのか」


ムカつく。なんの話か分からない。


「今日の朝、戻るからって話しておいたんだけど。俺の分もメシ作ってもらわなきゃ、困るし」


何様のつもりなのよ。
ふざけんな、バカ。
連絡くらいよこしなさいよ。


色んな悪態を呑み込んでも、涙は止まらない。俯くあたしの足元に祠稀が膝を付いても、いちばん言いたい言葉が紡げない。


「……まあ、直接言えばいい話だけど」


毛先を軽く引っ張られ、顔を上げる。


――祠稀だ。目の前にいるのは紛れもなく、祠稀。


「俺の家は、ここだよ」


どうしてこんなに、愛しいんだろう。


「……っおかえり」


最悪だ。
スッピンだし、泣いてるし。


でもそんなことはどうだっていい。祠稀が笑ってる。そばに、いるから。



「どこにも行かないで」



頬を滑る雫が、祠稀の温かい指に止められた。そのまま頬を包まれて、微笑みを浮かべた祠稀の顔が近付く。


……あ。

そう思った瞬間、コツンと互いのおでこが当たった。


「行かねーよ」


こんなに至近距離で祠稀の顔を見たことがないのに、祠稀は優しく笑って、目元にキスを落としてきた。


涙を食べるように、柔らかい唇の感触がして、あたしの体温は急上昇する。


離れる祠稀を目で追うと、するりと頬を包んでいた手が離れ、体温が下がった。


「泣き虫」


フンッと意地悪く笑う祠稀にハッとして、近くにあったクッションを力任せに投げつけた。


「何すんのバガッ!」

「なんだよ、キスされたかったか?」

「ハゲ! 祠稀のハーッゲ!!」

「あぁん? 上等だコラ。つうかハゲてねぇよ!」


知らない知らない。祠稀のバカ!


いきなり何すんのよ!


「何騒いで……あれ……おかえり祠稀」

「あ、帰ってたんだね! おはようっ」


騒がしいあたしたちに目が覚めたのか、彗と有須が部屋を覗きに来た。


祠稀は呑気に「おー」と言い、あたしは赤くなる顔を隠すようにそっぽを向いた。


「凪がハゲハゲうっせーし」

「……未来予想」

「っけんな彗! 俺が禿げるわけねぇだろ!」

「ちょ、喧嘩しちゃダメ! ご飯っ、ご飯にしよう、ねっ!」


騒ぎながらリビングへ出ていく3人にあたしは着いて行かず、ベッドに横になる。気が抜けたのと、ドキドキする胸を落ち着かせるために。


「なんだアイツ。ふて寝か?」

「……いいよ、寝かせとけば」

「ふふっ。ご飯できたら起こしに来るね!」


ふて寝じゃないし、寝ないし。まずここ、祠稀の部屋なのに。


パタンとドアが閉まって、あたしは布団の上に顔を埋める。


……キスされるかと、思った。


というか、されてもいいと思った。


「……最悪」


くぐもった声は、自分を戒めるためには充分で。罪悪感を募らせるにも充分だった。


祠稀は、ダメ。

祠稀は、“そういう対象”に見ちゃいけないのに。


上がって下がった体温は、あたしの体が、祠稀を受け入れた証拠だ。



「……淫乱」


ボソリと呟いた言葉は嫌悪感しか与えない。


それでも止まらない淫らな欲望は、あたしの体を埋め尽くす。あたしの荒れる心を、宥めてくれる。


祠稀まで巻き込んではダメだと思うのに、それでもいいと思うあたしがいる。


そんな自分をどこまでも嫌えそうだ。



答えがあるなら教えてほしい。


どうすれば、あたしは愛されるの。


どうすれば、“サヤ”を忘れられるの。


あたしはいつもいつも、考えてる。答えの出ない自問自答を繰り返して、あたしは今日も笑うんだ。


大切な人に囲まれて、本当に心から、幸せを感じて笑う。


でもその囲いを作りあげたのは、あたしだ。


あたしと“サヤ”を分け隔てるために作った囲いは、いつまで保たれるだろう。



たくさんの思い出を、焦がれ続けた日々を、あたしは黒く黒く、塗り潰す。


彗に依存して、周りに依存して、いくつもの夜を、啼いて過ごす。


人はあたしを、哀れだと思うだろうか。


愛されたい人に愛されず、愛してくれる人をそばに置いて離さない。人に依存しなければ生きていけないあたしを、滑稽だと笑うだろうか。


それでもあたしは、笑い返せる。だからなんだと、笑い飛ばせる。



何にも依存せずに生きていける人間が、いるはずない。




.




    耳に残る甘い声も
    乱れる熱い吐息も
    軋むベッドの音も


  あの声が、あの温もりが
  いつか消えてくれるなら


    愛されるためなら
    なんだってできる



    誰かを傷付けても
    誰かを利用しても


     永遠を捨てて
     刹那を愛せば


     幸せになれた





  >>第5章:眠れぬヒツジ





◆Side:凪



肌をくすぐる、ゴツゴツとした手。

生温かい舌に咥内をむさぼられながら、左手が太腿を撫で上げる。


豊満な胸を揉みしだかれれば、吐息ともつかない声が漏れた。


明かりのない部屋は情欲で満たされ、ベッドの上は決して静謐とは言えない。


乱れるシーツも、軋むベッドも、行為の激しさをそのまま表していた。




ぼやける視界に瞼をこすると、白い天井が目に入った。


――夢か。
そう思って、眠いなんて気持ちはなく、体を包んでいた布団を乱暴に剥いだ。


夢の中で抱かれていたのは自分だったのか、それとも客観的に見ていただけなのか。それすらもう、覚えていない。


どっちにしたってただの変態だ。


「……寒」


ベッドから降り、ブルッと身震いをしてから霞色のカーテンを開ける。ふと、等身大の鏡に映った自分に苦笑してしまった。


顔が真っ青なのに、スパイラルの赤い髪は鳥の巣状態。滑稽すぎる。


適当に髪を撫でつけながらベッドに放り投げられたままの携帯を拾い上げ、時刻を確認した。


午前5時過ぎ。どうりでまだ暗い。


先ほどよりも控えめに体を震わせると、温かいココアが頭をよぎる。


起きたらまず、ココアを飲む。何年も日課であるそれを求め、だるい足をリビングへと向けた。


生々しいセックスの光景を夢に見た自分を、軽く嘲笑しながら。

――――…


「ほんっっとーに、ないんだな!?」


何杯目か分からないココアを飲んでいるあたしの顔に影を落とすのは、祠稀だった。


傍から見ればキスでもするのかってくらい顔を近づけてくる祠稀に、溜め息も出ない。


この朝のやりとりを、何回繰り返したんだろう。


「……祠稀、最近そればっかり」


至近距離にいた祠稀をあたしから引き離してくれるのは彗で、3人の顔を交互に見る有須は、いつ喧嘩が始まっても止められる準備をしている。


彗に襟元を掴まれた祠稀は眉をひそめ、椅子に腰かけた。


「だってそうだろーが! 彗に有須に俺! 次、凪に何かあってもおかしくねぇだろ!」


ここ最近の祠稀は、あたしにも何か秘密があるんじゃないかと疑い、それを問いただしてくる。


最初は何を言い出すのかと流していたけれど、あたしが思ってるよりも祠稀は本気らしい。


「あるならちゃっちゃと言えよ!」


なんて横暴なの、祠稀。


そうは思っても、祠稀も、有須でさえも、何かあるなら知りたいと目で訴えているのが分かった。


あたしはマグカップを置いて、秘密というものを考える。


他者に知られまいと、ひた隠しにしている事柄。


――そんなもの、在り過ぎてどれが秘密なのか分からない。逆に言えば、秘密なんてない。


「……ごめん。考えたんだけど、秘密って何?」

「あぁ?」


祠稀がイラッとしたのが分かって、慌てて両手を突き出す。


「いや、だから! 質問されれば答えれるけど、秘密は?ってアバウトな質問されると、分かんないんだってば!」


そう言うと、祠稀は僅かに片眉を上げた。


あたしが言ったことは嘘じゃない。質問をされれば答えるけれど、質問されなければ答えないということだ。


それは、あたしという人間に辿り着くことができない質問しかしないと、分かって言ってる。


祠稀や有須が思う“凪”には、しないであろう質問。それがきっと、あたしの秘密になる。


「……じゃあ、細かく聞けばいいのかよ」

「うん、細かく。いつでもどうぞ」


考えるように黙った祠稀を見て、再びココアを口に含んだ。


……考えても考えても、あたしに秘密なんてないでしょ? あるかと思っても、その先は思い浮かばないでしょ?


あたしはそれほどまでに、完璧な“凪”を作りあげたんだから。


――違うか。


ひとつのことを取り除いたら、あたしは平平凡凡に生きて来た、どこにでもいる15歳。夢虹凪は、そんな女子高生。


でもたったひとつ、それだけはどうしても消えることがない。


秘密と言えたほうが楽な気がした。


あたしは知られたくないんじゃない。祠稀たちに知られる気なんて、毛頭ない。


この想いは、これ以上誰かに知られる前に消さなくちゃならないんだから。


――――…

11月中旬。ちくちくと肌を刺すような冷気を含んだ風は、冬を感じさせる。


だから、いつにも増して温もりを求めてしまうのかもしれない。



「納得いかねぇー」


公立高校の冬は厳しいなと思っていると、祠稀が険しい顔で彗の首に腕を回していた。


お昼の時間、珍しくあたしたち4人が学食に来てるのをいいことに、遠慮のない視線が体中にまとわり付く。


「……苦しい。祠稀、苦しい」

「祠稀っ! 彗が窒息しちゃうよ!」


ギチギチと音でも出るんじゃないかと思うほど、祠稀は彗の首に腕を絡めているから、有須が焦っている。


「全く浮かばねぇ。おい、彗。お前はどうせ知ってんだろ」


あたしに秘密がないということに、祠稀はまだ納得がいかないらしい。


思い浮かばないなら、それでいいじゃん。どうして祠稀はそこまでして知りたがるんだろう。


なんて、理由はよく知ってる。


解放された彗を心配する有須と、壁にかかるメニューを眺めるあたし。


横から感じる視線に気付かぬふりをしても、祠稀は遠慮なしにあたしを見つめてくる。


自分に向けられている女子の視線を完全にシャットアウトして、あたしだけを瞳に映して、何が楽しいんだろう。


「……見過ぎ」


メニューから祠稀に視線を移すと、危うく切れ長の瞳に呑み込まれそうになった。



「俺には散々問い詰めたくせに、自分の時はダンマリかよ」


……問い詰めたつもりはない、とは言えない現実に目眩がするんですけど。


「それは、祠稀に秘密があったからでしょ。あたしはないんだから、答えようがないじゃん」


あたしを見つめる視線の奥にあるもの。

それを分かっていながら、素知らぬふりをする。


「心配なんだよ」

「ちょ、照れるじゃん。やめてよ」


向けられる好意が嬉しくても、答えることができない。答えては、いけない。


「ふたりとも、何にするの?」


有須が祠稀の後ろから顔を出し、あたしはやっと祠稀の視線から外された。


「んー、あたしはうどんにする! 祠稀は?」

「……焼肉てーしょく」

「じゃあ頼んでくるねっ! 席お願いしてもいい?」

「いいよ有須、俺頼んどくから」


彗がそう言うと、祠稀が「女子は席取り」と言いながら有須の背中を押した。


「じゃあよろしく! 行こ、有須」

「え、あ、うん! じゃあお願いしますっ」


相変わらずな有須に笑いながら、あたしは4人分の席を確保した。