「じゃあ、行ってきます」
「うん、いってらっしゃい。あ、今日は一度自宅に戻るから、こっちに来るのは遅くなるかも」
「はいはい、僕の方もどうなるのかわかりませんから、遅くなったら先に寝て下さいね。行ってきまーす」
バタバタと階段を駆け降り、100m程離れた駐車場へと向かった。
途中にある小さな公園の木々にはもう蝉の鳴く声は聞こえて来ない。
(いつの間にかすっかり秋だな・・)
もう一度靴の爪先をトントンとアスファルトにぶつけ、ステーションワゴンのロックを外す。
「よしっ!」
掛け声を掛けてステアリングをきつく握った。
「おはようございます!社長!」
会社に着いたのは昨日言われた15分前だった。
原田社長は既に出勤しており黒亶の机の向こうから「おはよう」と短く挨拶を返してきた。
「勇次くんのデスクはそこね」
入口から一番近いデスクを指し言う。
デスクの上にはノート型のパソコン一台と電話機が一台。
それに求人情報誌が数冊重ねられて置いてある。
(なぜ求人情報誌が?)
僕は今日一日をこの求人情報誌とにらめっこをして過ごすとは夢にも思っていなかった。
「他のみんなもじきに出社してくるわ。それまでデスクで待機。あ、コーヒー飲むんだったら自分で煎れてね」
「はい。大丈夫です」
その時、黒亶の机の向こうで小さな影が動くのを見た。
「あ、あの、社長。その子供は・・」
「ああ、紹介しとくわ。この子は娘の千尋よ。幼稚園のお迎えバスが来るまではあなたの先輩ね。千尋、挨拶しなさい」
千尋と呼ばれた3、4歳くらいの女の子が黒亶の机から姿を現し、丁寧なお辞儀をした。
「おはようございます、千尋ちゃん。よろしくお願いします」
女の子は下げてた頭を上げると僕の方を一直線に見ている。
「ごめん、この子喋れないの。喋らない事意外は健康よ。普通の子とおんなじにね」
社長は机の上のパソコンのキーボードを叩きながら、台詞を喋るように言った。
千尋ちゃんはまだ僕の事を見ている。
「あなたの事は気に入ったみたいだわね」
千尋ちゃんと社長は同じ瞳で僕を見ていた。
「はよざーすっ!」