綾蓮と呼ばれた女性は何枚かの書類を手に僕の前にやって来た。
テーブルを挟んだ対面には椅子が無く、近くの事務用の椅子を転がして座り、一枚一枚確認しながら僕の前のテーブルに並べていく。




一通り説明し終わって最後に綾蓮さんは言った。

「解らない事があればいつでも聞いて下さい。事務員は私一人ですが、就業時間内はここにいますから」

「ありがとうございます。お世話になります」

「この会社の事務関係は全て彼女に任せているわ。領収書を落として欲しかったらまず彼女に気に入られる事ね。ついでだから話しておくと、こちらの男性は野良(やら)。私の秘書をやって貰ってる」

野良さんはペコリと頭を下げた。

「今はいないけど樫元と言う男性社員と田中って言う女性の社員がいるわ。どちらも体育会系よ。明日紹介するわね」

「はい。よろしくお願いします」

「じゃあ今日のところはこれで。明日は8時までに出社して来る事。何も質問が無ければ帰っていいわよ」

「わかりました。質問はその都度させて貰います。今日はありがとうございました」

僕は立ち上がり、三人に頭を下げてから事務所を後にした。




「社長、那比嘉から回状が回って来たのはあの男で間違いないようですね。大丈夫ですか?」

「父は関係無いわ。とっくに縁が切れているもの。それより、あの勇次って男がどれほどの者なのか興味ない?何故那比嘉がこの業界の会社全てに回状を送り着けてまであの男を潰そうとしているのか、私はそれを見極めたいわ」

「私にはただの男にしか見えませんでした。何かを持っているようにはとても」

「何かあったらお願いね、野良。綾蓮も」

「承知してます――」




僕が出て行った事務所の中で、こんな会話がなされている事など知る由も無かった。


僕は『H・O・S』を出たその足で現在借りているアパートの管理をしている不動産屋へと向かった。

近くに駐車場を一台分借り増し、アパートに出入りする者が増えた事を知らせる為に。


僕の未来は順調だった。
少なくともこの時点まではそう思っていた。


アパートに戻り、沙希ちゃんにメールをした。
明日から新しい会社で働く事と、終わったらすぐに帰って来るようにと。