母親の家には帰らなかった。と、いうより帰れなかった。

ショックが大きすぎて、二子玉川の部屋に帰ってくるのが精一杯だった。

あの光景を目にした瞬間、鮮やかだった景色が急に色を失った。

男が走り寄った場所にいたのは、俺が恋して止まない相手。

あの男は俺が一番見てみたくて、一番会いたくなかった彼女の旦那だった。

男は彼女に優しく笑いかけると、数日前、俺が意を決して抱いた肩を、当たり前の顔ですんなりと抱いた。

男が彼女の肩を抱き、一緒にエスカレーターで上がって行く後ろ姿を見ながら、目の前が真っ暗になった。

テーブルの上に無造作に置かれた、お揃いのマグカップが入った雑貨店の袋とパン屋の袋。

彼女に想いが通じたと、浮かれていた──。

「バカじゃねぇの。俺」

切なさと、情けなさと、怒りと。

色々な思いが入り乱れて、グッと涙が上がって来た。