「笹原さん」
「……わわっ、」
 熱心にドアの取っ手を見つめていた彼女は、俺の声にビクリと体を震わせた。背後に立つまでまったく気付かなかったらしい。
 ゆっくりとこちらを振り返り、俺の顔を確認すると彼女の肩から力が抜けた。柔らかな笑みが向けられる。
「びっくりした。小野田くんかあ」
 驚いた。入学するなり毎日ひっきりなしに誰かしらに囲まれて、こんにちは俺何々っていうんだ、と自己紹介の嵐に襲われていた笹原桂が、ろくに口を聞いたこともないクラスメートの名前を覚えているなど予想外だった。
「俺の名前覚えてたんだ」
 思ったことがそのまま口をついて出てしまう。失敗した、と内心で自分自身に落胆した。これでは彼女に軽い気持ちで声をかける男子生徒と変わらない口振りじゃないか。