それまで在ったホームページも、『NOT FOUND』。

支部とされていたいくつかの建物も、いつの間にか引き払われていた。
 

どうして誰も気付かなかったのか。


その理由の一つに、本部が山の中に位置していた事が挙げられる。

要するに、ど田舎。

近くには過疎化した小さな村しかなかった。
 

そして、もう一つ。


目撃者とみられる者も皆、死んでいたからだ。
 


本部の近くにあった集落に、生存者はいなかった。


いくつかの家から致死量とみられる血痕が見付かり、まだ煙の燻っている家もあった。

そこから、手足を縛られた死体や、焼かれる前に絶命していたとみられる死体が、ごろごろ見付かった。


それらは皆、老人の遺骸だった。

皆殺しだ。
 


しかし、それだけの事があったというのに、どこにも真実は報道されなかった。