…暑い…。
 もう、この言葉しか頭に浮かんでこない。気を緩めれば、疲れの為にさっきより更に重く感じる背のバックと共にこの坂の振り出しへと転げ落ちてしまうかも知れない。それだけはお願いだから避けたい。けれど、既に疲れは頂点に達し、踏み出す足も重い。後ろへ…ではなく、前へと体重をかけながら足を止めてみる。
 スポーツでかく汗には程遠い体中の不快感。もう、精神的にも限界は近いはずだ。
 …そういえば、ここは初めてなものばかり…。
 各駅停車の鈍行列車も、乗客がたった2人の2両という短く淋しい列車も、こんなにも大量のセミの鳴き声も、列車の窓から見えた人間の産物によって流れを制限されていない自由な川も…全てが初めてで――。
「本当暑いわね。でも懐かしいわ…」
 俺の前方を進んでいく母さんの独り言に、木と木の間から覗く青く澄んだ天(そら)を俺は見上げた。
 ――この広がる青い空も、眩しいくらいに白い雲も、強く照りつけてくる太陽も、自分の住み慣れている場所にはない、初めてなもの――。
 母さんの今回の帰郷は16年振り、俺にとってのこの地への来訪は初めてのこと。母方の祖父は、俺が生まれてから間もなくして亡くなった為、俺が会えるのは祖母だけだということになる。母さんは祖父が亡くなったとき1度ここへ戻ったというが、祖父の遺言で葬儀も法事も一切行われなかった。四十九日も例外ではなかったようだ。今回の母さんの帰郷に父さんは仕事の為に供を断念。その為、16…高2にもなった俺に父さんは、行儀良くと、家を出るそのときまで耳にタコができるほど言い続けた。一体俺をいくつだと思ってるんだか。そんな当たり前なこと、言われなくてもわかってるっての。
 駅から25分かけてようやく、平屋建ての縁側のある家に到着。当然のことながら、周りに民家はひとつもない。
「よく来たね」
 祖母は玄関の前で俺たちが来るのを待っていたようだった。満面の笑みで迎え入れてくれる。