「おばあちゃん、ありがとう」
 ここへ来たあの日と同じたった2両の鈍行列車の中から、窓の外にいるおばあちゃんに、心からそう言った。おばあちゃんは微笑って、
「またおいで」
俺の頬を、その温かく皺(しわ)の多い手で優しく撫でた。
「また来るよ、必ず。要にも、元気でって伝えてくれないかな」
 俺は微笑った。今度は間違いなく本物の笑顔だ。…けれどおばあちゃんは、俺の顔を、なぜか、じっと見つめ……。
「…言わなかったんだね…」
 そう、呟いた。

 列車が、ゆっくり…ゆっくりと走り出す。

「姫乃? どうしたの?」
 俺とおばあちゃんの2人から離れ、見送りに来ていた旧友の見送りを受けていた母さんが隣にやってきて、まるで幼子(おさなご)にするように、俺の背を撫でる。
 ―――夏。
 それは、君と出逢った季節。
『「言わなかった」って…?』

 なあ、要…君にとって俺は、一体、どんな存在だった?

 いつも口癖のように勉強と言うあの母さんがたったの1度としてその言葉を口にしなかった。
 何度要のあの肌を白いと思っただろう。
 あの日わからなかった涙の理由。
 あの日わがままを言って俺を困らせ怒らせた理由。
 そしてあの『さよなら』の意味。
 俺はようやく、全てを知り…。
『…要ちゃんはね、もうすぐ…――』
 唯、泣いた。

 ―――そう。これは、俺とあの人を繋ぐ、唯一の記憶―――。