「明後日、私の誕生日なんだよ」
 隣でスポンジに泡を立てていた要が、何の前触れもなくそう言った。洗い物は要の仕事なのだ。それを手伝う俺は思わず、持っていた布巾を手から落とした。
「姫が帰った、次の日だね」
 要は、俺の動揺を知ってか知らずか、真っ白な泡いっぱいのスポンジで食器を洗いながら、そう、続けた。
 …一体、どんな気持ちで言ったのだろう。
「…要…?」
 要は、泡だらけのその白く細い手を止め、
「ん?」
俺を見上げ、俺の次の言葉を待つ。しかし
「……何でもないよ」
訊けなかった。
 要が、笑った。
「変なの」
 そう言って、笑った。
「今日はどこに行こうか」
 要は泡のついた手で指折り数えながら、今日まで俺と2人で陽が落ちるまで遊びまわった場所をひとつひとつ楽しげに挙げていく。…が、ふと、その手が止まり、涙がゆっくりと頬を伝う。
 俺は、泣きじゃくる要を、唯、抱き締めているしかなかった。
 蛇口の上にある窓辺の風鈴が、チリン…と、小さく鳴った。気が付けば低い空……雨が降る。

 強い陽射し。ただの通り雨だったようで、またすぐに太陽が顔を出した。くるくると変わる地球の表情に気づけるようになってきた。
「今日も暑ーい!」
 並んで縁側に腰を下ろし、水を張った桶の中に足を浸す。要は俺がいつも洗濯に使う大きな桶に悠々と両足を。俺の桶は小さいので、ジーンズの裾を大きく折った左足だけを水の中に突っ込む。
 要はまるで幼子(おさなご)がするように足をバシャバシャと水面に叩きつける…わざと、俺に水がかかるように。
「子供だねぇ」
「子供だもん!」
 大きく伸びをした要が、2人の間にある俺の手を知らないうちに握っていたことにようやく俺は気が付いた。
 通り雨は多くの湿気を残して行き、蒸し暑さを増させる。それでも俺は、繋いだ手を、強く強く握り返した。その手は小さく、細く…そして…そして……。

 俺は明日にはここを去り、隣に…要はいない…。