携帯の電源を切っていたら、アウトだ。

幾多は、携帯を人から手の平で見えないように隠しながらかけていた。

それも、涼子の携帯からだ。

廊下の奥の教室から、携帯の着信音が聞こえてきた。

「こらあ!山下!」

講師の怒声が、教室に響いた。

「フッ…」

幾多は笑うと、廊下を歩き出した。一番奥の教室の窓から、中を覗いた。

教室の一番後ろに座っていた山下は慌てて、携帯を切ろうと取りだした。そして、ディスプレイに映る名前を見て思わず、携帯を床に落とした。

幾多は少し口元を緩めると、携帯を切った。

そして、すぐに教室から離れ、塾からも出た。

「今夜が…山だな」

幾多は、月を見上げながら真っ直ぐに、今夜の舞台に向かった。

自分の携帯をちらっと確認したが、まだ自分には電話が入っていなかった。

「まだいけるな」

幾多は笑うと、堂々と道を闊歩した。



塾が終わるとすぐに、山下は携帯を手に取り、ある番号にかけた。

「田端!い、幾多が、退院したって、本当なのか!お、俺に、で、電話がかかってきたぞ!」

山下は人に話を聞かれないように、塾を出ると、裏口に回った。

「い、意識が戻らないと言っただろうが!」

山下は携帯に向かって、叫んだその後、震え出した。

「ど、どうしたら…」

異様にガクガクと震える山下は、しばらくかけている相手の話を、うんうんと素直に頷きながら聞いていた。

「わ、わかった…」

山下は携帯を切ると、少しふらつきながら、歩き出した。

その足は、実家には向かっていなかった。

そして、その数メートル後ろの街灯の光の届かない闇から、幾多が出てきた。

「…」

無表情で、幾多はある程度の距離を取りながら、山下の後ろを歩き出した。