「無駄だ」

女が呟くと、理事長室からその姿が消えた。

「…」

そのことにも驚くことなく、虚ろな瞳のまま、

「装ちゃ…」

言葉の途中で、理事長は唇の端から涎を流しながら、その場で崩れ落ちた。

「無意味な殺生はしたくない」

黒いスーツ姿に変わった女の拳が、理事長の鳩尾にヒットしていた。

気を失った理事長を、女は机の上に寝かせた。

理事長の手から、乙女ケースが落ち、フローリングされている床に転がった。

「やはり…ここか」

女は、理事長室の後ろにある窓を見つめた。

手を伸ばすと、ガラスの表面に手のひらを当て、窓を開けることなく、空間を開けた。

ガラス越しに見える景色が消え、真っ黒な穴が現れた。

女は手のひらを握り締めると、拳を空間に叩き込んだ。

「ぐえっ!」

向こうから飛び出そうとした乙女グレーを、叩き落とした。

「フン!」

気合いとともに、女は窓の中に飛び込んだ。



ほんの数秒…いや、もっと時間がかかったのか…女にはわからなかった。

一応、上下の感覚はあった。

足元に力を込めると、地面を感じられた。

「この学園は、ガラスの中に異空間をつくっているのか?」

女が目を凝らす間もなく、空間にぼんやりと明かりが灯った。

「異空間というよりは、迷宮よ。ここを拠点にして、無数に伸びる回廊の一部が、大月学園の窓と繋がっているのよ」

突然、前から声がしたが、女は狼狽えることなく、前方を睨んだ。

「それを、あの女が利用しただけ」

誰が前にいた。

しかし、声は耳元で聞こえていたが、気配は遥か向こうから感じた。

それに、微かかだが…無数の息吹に似た空気のざわめきが、感じられた。

その感覚は、目の前に無数のゴキブリが蠢いているようなものだった。

「貴様か…」

女は恐れることなく、一歩前に出た。

「無謀よのう」

声が笑った。