僕はプラッチックやFRPを加工する会社に勤めていたが、アニメや小説の登場人物なんかのフィギュアが流行っていて男女を問わず馬鹿みたい売れていた。

僕は地下鉄を降りて、会社まで歩いていた。
とっくに昼を回っていた。
なんだかやる気が起こらずにグズグズと午前中をコーヒーとテレビを見て過ごしてから出勤していた。

テレビではタレントという概念が壊れていた。
ヴァーチャルなアイドルがコンピュータグラフィックで旧世代の美しさをなぞるように表現していた。

どうしてこんなに美しくない世界になったのか?
不快と嫌悪と憎悪を抱くような世界になってしまったのか?と歩きながらすれ違う女たちを見ながら「殺して顔の皮を剥いでやりたい」と思った。

現実に投影できない幻想も希望も壊れて自分の心が叶わぬ望みのせいで絶望し傷つくのだろう。

仕事だってできない。
お客の顔を見ながらため息をつく、目を合わせて話すこともなくなった。
誰もがそうだった。

唯一、この灰色に満ちた世界に希望のあることがひとつあった。
それは最後の美女と呼ばれる大和田節子さんが生まれたことだ。
そのニュースを聞いて、全国は喝采した。

当時、誰からも羨まれる可愛い赤ちゃんとしてメディアで騒がれた。
彼女もいまでは思春期を迎えた16歳だ。
彼女の悩みは恋愛対象がいないことだった。

つり合いのとれる男性がいないのだ。
彼女の美意識もやはり正常なものだった。

しかし、彼女は違った。
彼女は自分の美貌という孤独のなかから、彼女自身の革命を起こしたのだ。

それは、顔にメスを入れシリコンで顔の形を整えるのではなく、宝石を散りばめたマスクを被る仮面族でも、顔にペイントやタトゥーをほどこしたペインターと呼ばれたでサブ・カルチャー的な流行ではなかった。

彼女の革命は、精神から愛情を説いたものだった。

それは単純だった。

外見の美しさを諦め、精神的にプラトニックな愛を説いた。
それはカルチャーを超えて、文化となり宗教となった。

そして彼女は神より与えられたと言われた自分の美しさを犠牲にして全国でもいちばん醜悪な男と呼ばれた大地マカオを恋人にして自分の活動をこの世界に広めていったのだった。