真面目なあたしは悪MANに恋をする

ナツのごくっと生唾を飲み込む音が聞こえてくる

あたしもナツにつられて、唾を飲む

ナツが瞼をゆっくりと持ち上げると、あたしの両肩を掴んだ

「気をしっかり持って、聞いてよ! 先月、葉南(はな)がバイトの子と合コンをしたでしょ? それで茉莉、寺島君とアドレスの交換をして、付き合い始めたの」

『付き合い始めたの』

ナツの言葉が、あたしの脳内でエコーがかかった

頭が真っ白になるって、こういうことか…って思った

まるで時が止まったかのように、あたしの中の時間がぴたっと止まる

何も見えない

ナツの顔も、他の友人たちの顔も

茉莉が?

寺島君との仲を協力してくれるって言っていた茉莉が?

寺島君と付き合ってるって?

どうして、そうなるの?

い、意味がわからない

あたし、ナツの言葉を聞き間違えたかな?

「大丈夫?」

ナツがあたしの肩をポンと叩く

あたしはハッと顔を上げると、ナツの目を見る

すぐに世界が歪み、喉がきゅーっと痛くなる

目頭が熱い

胸が痛い

肺が苦しいよ

「あたっ…あ、あたっ…だって…ま……っり」

言葉にならないっ

一粒の大きな涙が、あたしの頬を流れ落ちていく

それがまるで始まりの合図みたいな感じで…一度流れ出た涙は、次から次へと滝のように溢れだした

「泣いて、いいよ」

ナツの言葉に、他のメンバーが大きく頷いた

「う…うわあぁぁぁん」

あたしはナツに抱きつくと、声をあげて泣きだした

仲の良いメンバーの他に、保育科のクラスメートがクリスマスパーティをしている大学の食堂で、あたしは泣いた

涙が枯れてしまうまで、あたしは泣き続けた
クリスマスパーティが終わると、あたしはナツとカラオケボックスに流れた

狭い個室は、煙草臭くて、嫌な気分になる

ただでさえ、クリスマスなんて大嫌いになったばかりなのに

今年のクリスマスは楽しくなると思ってた

あたしは携帯を開くと、ナツにだけあるメールを見せた

『25日、バイト終わったら、どっか行こうぜ』

「これって…寺島君からきてたの?」

ナツの驚きの隠せない質問に、コクンと首だけを振った

「茉莉も知ってる。嬉しくって、茉莉にメールしちゃったから…」

あたしは、深いため息をつくと、両手で自分の顔を覆った

最低っ

茉莉はこのメールを見て、どう思っただろうか

『寺島君は私のモノよ』とか心の中で思っていたのだろうか?

生まれて初めて、彼氏ができるかもって喜んでいたあたしが馬鹿みたい

本当に、馬鹿だ

茉莉と寺島君が付き合ってたなんて

「いつからか知ってる?」

あたしは戻ってきた携帯を閉じると、ナツを見た

「合コンの翌日には……」

言い難そうにナツが言葉にしてくれる

「葉南がトイレに立った時に、言ってたよ
葉南が好きなのを、みんな知ってたし、付き合うならきちんと葉南に言うべきだって言ったんだけど……」

ナツが申し訳なさそうに頭をぺこっとさげた

「ごめん。こんなことになる前に、うちらで葉南に言っておくべきだったよね? まさかクリスマスパーティの途中で、会いに行っちゃうなんて思わなかったから」

「ううん、ナツたちが悪いわけじゃ…ないよ」

あたしはまたため息をついた

合コンの翌日って…何、それ

あたしを何だと思ってるの?

その後も普通に、「寺島君とはどう?」って聞いてきたよ…茉莉は

もうあの時には、付き合ってたんだ

どうして言ってくれないの?

なんで黙ったまま、協力しているふりをしていたの?

あたし、騙されたんだ

茉莉に

そして寺島君にも
だって合コンの後から、よく遊びに行こうって誘われてたよ

嬉しくて、断る理由なんてないから…寺島君の車で出かけてた

ドライブして、ゲーセンで遊んで…車の中で時間を忘れて話をしてた

あたし、一人だけで喜んでいたんだ

寺島君は茉莉と付き合ってるんだもんね

「はあぁ…きつっ」

あたしは、ぼそっと気持ちを吐き出した

短大では茉莉に会うし、バイトでは寺島君に会わないとだし

バイト、楽しいから辞めたくないし

とんかつ屋で、渋いバイト先だけど、ホールのバイトのメンバーは良い人たちに恵まれてて、辞めたくない

「葉南…」

ナツのほうが泣きそうな顔をしていた

あたしより、苦しそうな表情であたしを見ている

そんな顔をされたら、あたしが泣けなくなるじゃん

あたしは笑顔を作ると、ナツの肩を叩いた

「平気だよ、たぶん…」

垂れてきた鼻水をあたしは啜る

カラオケボックスの煙草臭い空気があたしの鼻孔を刺激した

「冬休み中に、気持ちの整理をするからさ」

「平気?」

ナツが眼球を赤くしている

あたしの代わりに泣いてるの?

泣かないでよ

ナツが泣いたら、あたしが泣けなくなる
「ナツ、大丈夫だから…あたし、頑張るから」

『頑張る』って思わず出た言葉だけど、「何を?」って冷静に突っ込みを入れているもう一人のあたしがいた

そう、だよね

何を頑張ればいいの?

私立の女子中に入学して、1年のとき同じクラスだった茉莉

一年のときそれなりに仲良くしてたけど、2年でクラスが変わったら、全然交流が無くなった

短大で、また同じクラスになって再会して、中学の頃よりもっと親密で、信頼しあえる友人になったと思ったのに

こんな裏切り方ってないよ

一言、口にしてくれれば良かったのに

合コンで一目ぼれしたって

黙って付き合うなんて、酷いよ

あたし、茉莉の友達だよね?

茉莉から見たら、違ったのかな?

あたしは茉莉にとって友達じゃなかったのかな?
「ナツ、本当に大丈夫だから。冬休みが終わったら、すべて元通りの関係になるよ」

あたしが、気にしなければいいんだから

そうだよね

茉莉と寺島君のこと、平気なふりをして二人の恋愛を応援すれば、いいんだから

あたしの醜い心は、閉じ籠めて、笑顔で…そうだよ、笑顔で茉莉を見てあげればいいんだ

もともとあたしが頑張ったって、寺島君の心はあたしに向くことなんてなかったんだから

ね、そうだよね

そう思えば、辛くない

苦しくない

あたしは寺島君のことなんてなんとも思ってなくて、ただ合コンをセッティングしただけ

それで茉莉と寺島君が出逢って、付き合い始めたって思えば、何もつらくない

悲しくない

ほら、あたし、平気じゃん

全然、傷付いてないもん

最初から寺島君なんて好きじゃなかったんだよ


最寄駅から、家までの暗い道をあたしはとぼとぼと歩いた

徒歩10分の距離に、あたしが住んでいるマンションがある

父と母がいるマンション

兄は去年まで家にいたけど、就職して今は一人暮らしをしてる

携帯で時間を確認する

夜道が、携帯の液晶で少しばかり明るくなった

10時5分か

今頃、茉莉と寺島君は楽しんでいるのだろうか

あたしは最悪だ

心も身体もボロボロ

携帯をしまうと、手に持っているヒールの折れた靴をじっと眺めた

最悪だよ…今日は、運勢が悪い日じゃなかった気がしたんだけど、あたしにとったら、最低な日だった

失恋した上に、はだしで路上を歩くなんて

こんな姿、誰にも見せたくない

顔だってきっと泣き腫らして、腫れぼったいんだろうなあって思う

化粧だって、はげてる

化粧ってほどの、化粧をしているわけじゃないけどさ

ファンデーションと眉を書いてるくらいで…ノーメイクとたいして変わらないけど

眉があるのとないのとでは、自分のモチベーションが違うよね

ただそれだけの問題なんだけど

「はあぁ、なんかもうどうでもいいって気がしてきた」

ぼそっと誰もいない歩道で、独り言を零した
肩をがっくりと落として、歩みを止める

ぼぉーっと、まっすぐ続く歩道を眺めた

冷たい風が頬を撫でていく

風はあたしを慰めるわけでもなく、包み込んでくれるわけでもなく、ただ濡れた頬を冷たく凍らせた

一台の原付バイクが、近づいてくるのがわかった

静かな道路に、音が響き、どんどんと大きくなってあたしの耳を刺激した

エンジン音が、後ろから聞こえて、あたしの横を颯爽と追い抜いていく

好きってなんだろう

あたし、寺島君を好きだったのかな?

それすらもわからなくなってきた

この場に蹲りたくなる

大きな声で泣きたくなる

でも、待って!

あたしはまだ泣けない

泣いちゃいけない

泣いたら、動けなくなる

泣いたら、寺島君を好きだったって認めたことになる

そんなのは嫌だ

あたしは、寺島君なんて好きじゃなかった

そう…あたしは好きじゃなかった

それを知っていて、茉莉は寺島君と付き合ったの

そう思いたいの

思わないと、心がバラバラになってしまいそう

親友の裏切り行為に、憎しみと怒りで、爆発してしまいそうになる