あの頃の私といえば、とにかく不器用で

上手に生きて行く術なんてわからなかった。



今ならそれがわかる気がする。
耳をつんざくような目覚まし時計の音で私は目をさました。

泣き叫ぶ時計を見つめたまましばらく硬直すると、
やがて重い体を持ち上げた。

洗面台の前に立ち、蛇口をひねる。

手のひらにたまった水たまりを顔にぶちまけると、肌をさすような冷たさに一瞬身震いした。

顔を持ち上げ鏡を見据えると、顎から水のしたたった私の顔がぼんやりと浮かんで見えた。

「はあ。」

朝起きたら突然、違う顔になってたらいいのに。

私は鏡を睨み付けた。

皮肉にも私は美人とはいえない。

思わず目をそむけてしまう程の不細工ではないが、
鏡を見る度にため息をついてしまうような顔だ。

腫れぼったい二重に、丸い鼻。

色の薄い唇に、丸みをおびた輪郭。

ただ唯一の自慢は、おばあちゃん譲りの色素の薄い白い肌。

しかしそれすらも、青春のシンボル、いわゆるニキビ達に台なしにされていた。
私の顔を作りあげてくれたこのパーツ達は、両親の悪い部分だけを見事に受け継いでくれた。

どうゆう訳か私の妹は、上手い事それ以外の父母自慢の顔パーツを受け継ぎ、小さな口につんとした鼻、切れ長の目を持った近所でも有名な美少女だった。

そんな妹と比べられ、哀れむような目を向けられながら育った私は結果コンプレックスの塊になってしまった。
「麗、早くしなさい。律子が準備できないでしょ」

扉の向こうから母の甲高い声が聞こえた。

「はいはい。ちょっと待ってよ。」

麗華。

名前だけ聞くとモデルのような美しい姿を思い浮かべるだろう。

世の中は皮肉なものだ。

両親もまさかこんな名前とのギャップがある娘が生まれてくるとは思わなかっただろう。

律子は妹の名前だ。

私への命名の失敗を教訓にわざと少し古風な名前をつけたのかもしれない。

ところがどっこい、律子は偉い美人に生まれてしまったというオチだ。

「律ちゃんごめん。もういいよ。」

私は扉を開けると不機嫌そうに壁にもたれた律子に声をかけた。

「もう!お姉ちゃん遅いんだよ毎日毎日。あたしの方が家でるの早いんだからね。」

律子は苛立った様子で勢いよく扉を閉めた。

「低血圧だなあ律子は。」
父はコーヒーをすすって怪訝そうにこちらに目をやった。

一通りの準備を終え私は家を飛び出すと、母が後を追って家から出てきた。

「麗、忘れ物してない?」
「してないよ、大丈夫。」
私は後ろを振り返るのもめんどくさく適当に手をふった。

「気を付けてね!」

背後から聞こえる母親の声を無視して私は歩き出した。
桜もすっかり散りはて、高校生活二度目の夏が訪れようとしていた。

「やだな学校。」

私は重い足を前にすすめる。

どれだけ学校が嫌でも、サボる勇気なんて私にはない。

一日でも休んで次の日私に対するみんなの態度が違ったら、なんて考えると吐血してでも学校に行かなければと思う。

それどころか私は、我が校の生徒が登校する電車より1本早い電車に乗り、誰よりも早く登校する。

生徒の集まった教室で、「おはよう」と言いながら愛想笑いなんてふりまいて教室の奥の席まで到着するのが嫌だからだ。

それなら一番に教室に着いて、続々と登校してくるクラスメイトをメールするふりでもして受け流す方がよっぽど楽だ。

電車とバスを乗り継ぎ学校に到着すると、教室の電気をつけ奥の席に直行した。
私はカバンから筆箱を引っぱりだし、一時間目の英語で提出しないといけないプリントをやりはじめた。


ガラガラ。

数分たつと、教室の扉が開いた。

私は宿題に夢中なふりをして顔をあげなかった。

入ってきた奴が席に着いたのを見計らって、私は誰が登校したのかちらりと確認した。

予定外な事に席についたそいつはカバンを持ち上げようとしていて目があってしまった。

沢田たかしだ。

不良でもオタクでもない、いわば中間派で陸上部の彼は、私と同じく宿題のために速めに登校したらしい。
「おおはよう。」

とっさに挨拶をしたせいでどもってしまった。

「…おはよう」

虫のささやくような声で返事をした彼はふいっと机に目を戻した。

なんだよもう。

もうちょっとタイミング見計らってみればよかった。
私は再び自分の宿題に目を戻した。
続々と生徒が登校してにぎやかになって行くなか、私のプリントに影ができた。
「おっはよ」

マリエだった。

この2年A組では、1年生の時と同様一人で学校生活を過ごすつもりだった。

しかしマリエはここ最近なにかと私に寄ってくるようになり、一緒に行動している。

決して友達とは認めたくないが。

というのも、彼女は今までクラスのいわゆるギャルグループに所属していて、今どきの女の子らしい自己中でわがままな奴だった。

その性格がたたったのか彼女はそのグループからハブにされ、一人で過ごす私の所にやってきたという訳だ。

四六時中アニメの話で盛り上がっているオタクグループに属すよりは私の所に来た方がマシだと思ったらしい。

おかげで今まで誰の目に着く事もなくひっそり学校生活を送っていた私にまでとばっちりがきた。

「マリエ、山崎さんとこ行ったみたいだね。」

「暗い奴とは関わりたくないとか言ってたのにね〜」
「や〜んみじめ〜。」

それを耳にした事で私は受けなくていい傷を受けてしまった。

3日はその言葉が頭のなかでじんじんした。

今だに思い出すとテンションが下がる。

「何?宿題してんの?超真面目〜」

当たり前だよ。

「えっ?今日提出?!まじで言ってる?!」

お前に嘘ついて何になるんだよ。

「や〜んうつさして〜。間に合うかなあ〜!?」

人が苦労してやった宿題一瞬で写すんじゃねえよ。

私の心の声もむなしくマリエは私の隣の席に座りいそいそと宿題を写しはじめた。

やがて10秒もしないうちに彼女はペンを放り投げた。
「こんなのすんのやだ!もう提出しないでいいや。はいありがと。」

マリエはポイとプリントを投げ出した。

マリエの手から離れたプリントは、ひらひらと一瞬宙にまうとやがて私の机上に舞い降りた。
「麗華、トイレ行こ。」
プリントの確認をしている私の横で、暇そうに携帯をいじっていたマリエは突然立ち上がり、カバンからポーチを取り出した。
−トイレぐらい独りで行けばいいのに。
きっと1人で廊下を歩く事に慣れていないんだろう。
じめじめとした廊下を歩き女子便所に入ると、幸い誰もいなかった。
マリエは鏡の前に立つと、ポーチからY字のつまようじ程の棒とのりを取り出した。
アイプチだ。
ひとえまぶたをのりでくっつけて二重にしてしまうという、一重まぶたがお悩みの乙女にとっては魔法のアイテムだ。
無論アイプチの存在を知っている女子からすれば自然二重と偽二重の違いなんて一目瞭然なのだが。
マリエはまぶたにべったりと白いのりを塗りたくると、棒を引っ掛けた。
目も口も半開きで、みっともない表情だ。
私はその様子を鏡越しに見つめた。
私の目線に気付いたマリエは口を尖らせた。
「麗華はいいよねー。自然二重で。」
「二重でも不細工じゃ意味ないし。」
私は苦笑いを浮かべた。
「あっそれもそうかなー」
彼女は適当にあしらった。
お世辞でも「そんな事ないよ〜」とか言う気はないらしい。
その方がスッキリするけど。
マリエはスパッと話を切換えた。
「あたし今日スッピンなの。やばいでしょー!?」
「そうなの?きづかなかった。」
気付かなかった、というより興味がなかった。
「やーんひどくなあい!?…あっ麗華化粧とかしないしね。違いとかわかんないよね」
わからないハズがない。
スッピンはノーコメントだが、とにかくマリエの化粧といえば
目の周りが真っ黒に塗りたくられ、近くで見るとムラだらけでひどい。
あえてその事には触れないようにしている。
「麗華は化粧とかしないの?」
ふいにマリエが聞いてきた。
「私が化粧してきたらみんな焦るでしょ」
私は笑った。
「あぁーそうかもねー。」
会話は終わった。
マリエが目の周りを囲んでいるうちにチャイムがなった。
「あーなっちゃったー。まっいっか。」
はぁ。またこいつと一緒に遅刻届け持って入らないといけないのか。
これじゃ早く学校来てても意味ないじゃん。
でもそんな事言い返せなかった。