「あ」
と思わずつぶやいて
教室の窓から外を見たら
やっぱりいた。
彼が。
ふわふわ舞う
桜のピンクに染まる中庭。
その色彩の中でも埋もれることのない
彼の存在感。
やわらかそうな髪が春風に揺れて
キレイな横顔に見とれた。
……惹きつけられる。
理由もなく。
どうしようもなく。
なんで、あんなに
まぶしいんだろう。
あの瞳に映るものが
あたしだけなら
どんなに幸せだろう――…
━ 第1章 ━
恋の始まりは
ただ、がむしゃらで
キミがいてくれるなら
なんでも翔び越えられる
気がしたの
4月――…
「桃崎さん。
ねぇ、桃崎さん」
「あ、はいっ」
ぼんやりと頬杖をつき外を見ていたあたしは、2回名前を呼ばれたところで、やっと気がついた。
クラス替えをして間もない、騒がしい教室。
窓際に座るあたしの横に立っていたのは、名前も知らない女の子。
「……何?」
つい、警戒心が声に出てしまった。
自慢じゃないけど、女子から嫌われることはあっても
親しげに話しかけられるなんて、めったにないんだ。
そんなあたしの警戒を気にもせず、その子は茶色い毛先をもてあそびながら口を開く。
「2年の転校生って、桃崎さんの弟ってホント?」
……あぁ、なんだ。
目的はあたしじゃなく、あっちか。
それにしても情報が早いこと。
「うん。まだ籍は入ってないから、正式には弟じゃないけどね」
まぁそれも時間の問題だけど。と、心の中でつぶやいた。
2年の転校生――“神木那智”。
この春うちの中学に転入してきたばかりの、ひとつ年下の男の子。
彼はもうすぐ
あたしと同じ苗字になる。
「桃崎さん、いいよね~。お父さんの再婚のおかげで、あんなキレイな子が弟になるなんて。ホントうらやましい」
無邪気すぎるそのセリフに、あたしは苦笑が隠せなくなった。
うらやましい?
だったら代わってよ。
あんたが那智の姉になればいいじゃない。
これ以上話をするのも億劫で、あたしは再び窓の外を見やった。
その視線の先。
向かいに立つ校舎の、外側にある非常階段。
1階と2階の間の踊り場で、男子グループがたむろしているのが見えた。
「あ~っ、あれ、弟くんじゃない?」
あたしとほぼ同時に気づいた彼女が、窓から身を乗り出して指差す。
「ほら、やっぱりそうだ。ね?」
「……」
「てか弟くん、遠くから見ても目立つよねぇ」
こんなミーハーっぽい女と同意見なんて悔しいけれど
たしかに、あたしもそう思う。
那智は、無条件に人を惹きつけるんだ。
たとえば周りにいる男子たちのように、髪を染めているわけでも、大声で騒いでいるわけでもないのに
ただそこにいるだけで、人の心をとらえてしまう。
限りなく原色のような
無色の存在。
「こうして見るとさぁ、弟くんって転校生には見えないってゆーか、存在感ありすぎて不思議なくらいだよね」
「……あいつは、特別だから」
「え?」
ぼそっとつぶやいたあたしの方をふり返る彼女。
が、次の瞬間には再び視線を戻していた。
飛びあがるほどの怒鳴り声が、外で響いたからだ。
「神木ぃ―っ!!」
ドスのきいた声の主は、この中学で一番怖いと言われている、体育の山内先生だった。
「お前ら、こんな所で溜まってたのか! さっきの授業またサボりやがって!」
くたびれたジャージの袖をまくりながら、非常階段に突進していく先生。
床に広げていたお菓子や雑誌をすばやく片付け、バタバタと立ち上がる那智たち。
その様子を見て、あたしの隣の女子が「あちゃ~」と肩をすくめる。
「よりによって山内に見つかっちゃったかぁ。
さすがの弟くんも、アレが相手じゃ厳しいわ。
捕まったら指導室行き――」
言いかけた言葉を、彼女はのみこんだ。
同時にあたしも、小さく息をのむ。
那智が、翔んだ。
先生から逃げるというよりは、翻弄するように
非常階段をかけ上ったかと思うと、速度を落とさず軽々と柵を飛び越えて。
ほぼ2階の高さから
ためらいもなく
那智は、宙に身を躍らせた。
「――…」
黒猫だ、まるで。
難なく地面に受け止められる、しなやかな両足。
そのままふり返らず、軽やかに走り去る後ろ姿の、風になびく黒い髪。
まぶしくて……
なのに、目がそらせない。
「あ……おいっ!」
しばし呆然と見ていた仲間たちも、那智のあとを追って次々に飛びおりていく。
先生があわてて階段を下りたときには、彼らの姿ははるか遠くに消えていた。
「ビッ…クリしたぁ……」
一部始終を見ていた例の女子が、はあーっと息を長く吐き出した。
そして、少し興奮気味にあたしの方を向く。
「普通さぁ、あの高さから飛びおりる!? 弟くん、羽でも生えてんじゃない!?」
……もし本当に、那智の背中に羽が生えていたとしても、あたしはたいして驚かないと思う。
ズキン。ズキン。心臓がうずく。
那智にだけ反応して暴れる
制御不能な、この衝動。
「……」
「どうかした? 桃崎さん?」
うつむいていた所を彼女にのぞきこまれ、あたしは首をふった。
「ううん、平気」
「でも、顔がすごい赤いよ?
ていうか桃崎さん――」
なんかちょっと、色っぽい顔になってる。
冗談めかしてそう言われ、何も言葉を返せなかった。
……言えるわけが、ない。
もうすぐ弟になる人に
触れたくて、触れられたくて
仕方がないなんて。
そんなこと、口が裂けても
言っちゃいけない。