落下星 ~キミがくれた、永遠の初恋~


「別に、あたしが何を信じててもいいでしょ。……那智には関係ないじゃん」


「おう、そやな」



余裕しゃくしゃく。腹がたつ。



「……てゆか那智こそ、もう絵、描かないの? 最近全然描いてないみたいだけど」


「そやなぁ。気ぃ向いたら描くかもなぁ」


「あ、そうだ」



あたしはふと思い出したことを口にした。



「あたしの隣のクラスに、美術部の部長がいるんだけどね。その子から、那智を美術部に誘ってくれって言われてたんだ」


「……部長?」


「うん。那智のこと、小学生の頃から知ってるみたいだよ。あんたって大きな賞とか獲ったことあるし、けっこう有名人――」



「男か?」



「へ?」



「そいつ、男か?」



那智の表情は、さっきまでとはガラリと変わって冷たかった。



「え……そう、だけど」



それがどうかした?

あたしは戸惑いながら、那智の顔色をうかがう。


なんでそんな、怖い顔して……。



「お前、アホやろ。そいつは俺をダシにして、お前に近づこうっちゅー魂胆や」


「は? 何が?」


「でなきゃいちいちお前に相談せぇへんわ」


「……っ」



そんなわけないじゃない。

いや、もし仮に、百歩譲ってそうだとしても。


那智に怒られなきゃいけない理由は、あたしにはないはずだ。


そして、怒られる“権利”も、ないはずなのに。



「痛っ」


立ち上がった那智が、あたしの二の腕をつかんで引きあげた。


「寝る」


だからもう出て行け、と言いたげに、ドアの方をあごで指す那智。


困惑していると背中を押され、あっさり部屋から追い出された。



「那智っ……」



バタン。目の前でドアが閉まる。

こっちの気持ちなんか、まるでお構いなしに。










部屋に戻ると、開けっぱなしの窓から夜空が見えた。


「あ……」


月。隠れちゃったんだ。



さっきまで煌々と照っていた満月はいつの間にか姿を隠し


今はもう

灰色によどんだ雲の向こう。











いつもより、30分早く家を出た。

顔を合わせるのが嫌だから。



今日からお父さんは2週間の出張。


それが終われば

あたしたちは姉弟になる。






「あれ?」


昼休憩。人気のない視聴覚室で卵サンドを食べていると、廊下から声をかけられた。



「桃崎さん、こんな所でご飯食べてんの?」



そう言いながら入ってきたのは、隣のクラスの熊野くん。


ちなみに昨夜、那智との会話で火種になった、美術部の部長。



「俺、もっと日当たりいい場所知ってるよ?」


「あ、うん……。でもここ、静かで気に入ってるから」


「そっか。桃崎さんらしいね」



熊野くんは両手いっぱいに、画材やら何やらを抱えていて重そうだった。

だけど気にする様子もなく、いろいろと話しかけてくる。






――『そいつは俺をダシにして、お前に近づこうっちゅー魂胆や』



嫌だな。昨夜那智があんなことを言ったせいで、変に構えてしまう。

まぁ、あんなの気にする必要ないんだけど。



「ところで弟さんは、やっぱり美術部に興味なさそう?」


「えっ、あ………ごめん」



小さくあやまると、熊野くんは紳士的に笑った。



「いや、こっちこそ気を使わせてごめん。桃崎さんに頼むことじゃなかったよね」



あ、でも。と熊野くんは続けた。



「うちの部の後輩が、弟さんを勧誘に行くって言ってたんだ。
だからもう、桃崎さんは気にしないでよ」


「後輩?」


「うん。2年の女子」



……女子。ですか。





「弟さんと同じクラスの、相賀メグっていう子なんだけどさ。
彼女も弟さんの絵のファンらしくて。

普段は描く方の専門なのに、彼になら自分をモデルに描いてもらいたいとか言いだして……」



熊野くんはそこで言葉を切った。



「桃崎さん?」



無意識に爪をかんでいたあたしは、ハッと顔を上げる。



「あ、ごめん。ボーッとしちゃってた」


「あははっ。桃崎さんってたまにボーッとしてるよね」



……“たまに”がわかるほど、この人と接したことあったっけ?

と思いつつ、あたしは作り笑顔を返す。



「じゃあ俺、美術室に用があるから行くね」


「うん」



両手いっぱいの画材を抱えたまま、熊野くんが歩き出した。



ところが荷物が多すぎて、絵の具の箱が床に落ちてしまった。


とっさに拾ってあげると、「ありがとう」と熊野くん。


が、明らかにひとりで運ぶのは大変そうだ。




「あの、もしよければ

……手伝おっか?」










「ごめんね、こんなことまで手伝ってもらって」



美術室の奥にある準備室で、熊野くんは何度もそう言った。



「今日中に、棚の整理をしときたくてさ。桃崎さんがいてくれて、本当に助かった」



絵の具や紙の匂いに包まれた、せまい準備室。


天井まで届く棚には、所せましと画材が並べられていて、

あたしは熊野くんの手伝いで、その整理をすることになった。



「あ、高い所は俺がやるよ」


「ううん。台に乗れば届くし」


木製の台に乗って、一番上の棚まで手を伸ばす。


少し古くなっているのか、台の足がグラグラした。



「危ないな。代わろうか?」


「大丈夫だってば」


「桃崎さんって、案外ガンコなんだなぁ」



下から聞こえる熊野くんの声に、クスッと笑いが混じった。

そして。



「……あのさ、桃崎さん」


「ん?」


「どさくさにまぎれて、変なこと聞いていいかな?

今、付き合ってる人とかいる?」


「……」



あたしは整理する手を止めて、視線を彼の方に落とした。



「……いない、けど」


「じゃあ――」


「あたし男の人が嫌いなの」



とっさに出た言葉に、熊野くんがビックリした表情。


あぁ、変なこと言っちゃった。もっとマシな言い訳があるだろ、あたし。




「……ごめん、ね」


「いや、別に。俺の方こそ、いきなりごめん……」


「……」



気まずい空気。


那智の言うとおりだったな。

今まで気づかないで、あたしってやっぱりアホなんだろうか。



早く片付けて教室に戻ろう、と再び棚に手を伸ばしたとき。



「絶対、もったいないよー」



美術室の方から声が聞こえた。


誰か入ってきたらしく、ドア越しに足音も聞こえてくる。



「せっかく才能あるんだから、那智くんは描き続けるべきだと思うの」



……那智?


女子の声ではっきりと発音されたその名前に、あたしの心臓が嫌な音をたてた。



「うちの美術室って、けっこう設備整ってるでしょ?」


「んー? あぁ」


「ここならきっと、いい絵が描けるよ」