「俺の名前は、楠本稔。
美容師をやってる。それで、菜々ちゃんをスカウトしたんだ。」


「あなたが…スカウトしたんだ。」


雅樹は確かめるように、呟いた。

「それで、あなたが菜々を巻き込んだのか。そうだろ?」


―巻き込んだ…巻き込んだ?


あまりにも酷い言いぐさに、私は顔を上げた。


だって、巻き込んだのは楠本さんじゃない。
こんなふうにさせてしまったのは紛れもなく私だから。


すると、また楠本さんは優しく私の手を握った。


「何も言わなくていい。」
そう言われてる気がして、私は口をつぐんだ。


「あなたに会っていなければ、俺たちはこんなふうになってなかった…」


雅樹は突然、何かを思い出したように固まった。
そして苦い笑いをみせた。


「違うな…結局初めから、菜々に俺の気持ちを押さえ付けていただけなのかもしれない。…けどっ…」


本当に瞬時のことだった。
止めることもできなかった。


雅樹は身を乗り出し、
楠本さんの胸ぐらを掴んでいた。

その反動で、机の上のグラスがガタンと音をたてて倒れた。
ゆっくりと、水が流れ落ちる。


頭の中が真っ白になった私は、
ただ流れる水を見つめてた。


この水のように、全てを洗い流したい。
そんなズルいことを考えてしまった。