目覚めたら休日で、天気もよかったので私は散歩に行こうと思った。

とても風が強い日だった。マンションの吹き抜けは飛んできたゴミが散乱しており、駅前の商店街通りには自転車が倒れていた。散歩する犬は地面に這いつくばって、そのまま飛んで行ってしまう事を拒否していた。


春はまだ遠いのに2月の空は真っ青で、風の音だけがする。認知症のはじまった春風が桜の花びらを散らそうとしているようだと私は思った。


近所の神社に行った。神社の境内は小さなグラウンドくらい広く、子供たちがフリスビーやニンテンドーDSで、楽しそうに遊んでいた。7,8人で大縄跳びをしている集団が「42、43、44、」。数字を数えるごとに子供たちの声は大きくなっていった。3の倍数で変な声を出していた子が引っかかって、新記録は69で止まった。誰もがもう限界だったのだろう。息をきらして土をのたうちまわり、ケタケタと笑い転げていた。


私は子供の頃を思い出す。運動が苦手な子供だった。体育の時間になる度にクラスメイトは私をからかった。学校がまだ牧歌的な時代だったから、先生まで私をにやにやした顔でちゃかすので、私は先生が大嫌いになった。でも、先生も友達ももう、私をからかったことも、きっと私のことも、覚えていない。でも私は、覚えている。



1ヶ月前から小説を書きはじめた。何の取り柄もなかった私がはじめて何かに取り組もうと思ったのは、日々の憂鬱が私だけが感じているわけじゃないはずだと信じたいからだと思う。3月が締め切りの新人賞に応募しようと勤め先の友人に相談したら、彼は「フォンダンショコラ・痔漏・久宝留理子」と言うテーマで書いたらどうか、と私に提案した。私は悪くないテーマだと思って取り組むことにしたけれど、なかなか書けずにいる。中でも特に難しいテーマであるフォンダンショコラにどう物語性を持たせるか、私は鳥居の下の階段に座ってノート片手に思案していた。