母がなくなった時には私は母と週に1度ほどしか顔を合わせていなかったので、テレビを見ない限り私の生活はそんなには変わらなかった。少したったあと母を殺した犯人が見つかったと保健室の先生に教えてもらった。テレビをつけると写真でしか見たことのない父が映っており、写真と同じように父は穏やかな顔をしていた。私は動く父が珍しくて、テレビの中で動いたりしゃべったりする父を見るのが新鮮で、私はテレビを見るたびうきうきした気分になった。

3年前、父は刑務所生活を終えた。父はずっと離れ離れで足りなかった愛情を取り戻すように、毎晩、私を抱きしめて、私の服を脱がせ、自分も裸になって私とひとつになった。父が、お前はおっかぁに似ていないから目新しくていいなぁ、とてもいいことだなぁと息を荒くしながら言った。よく分からなかったけど、私は父にほめられてうれしかった。


竹ノ塚駅から見える風景は、今もそんなに変わらない。団地は昔と変わらずぼろぼろで、老朽化の進行すら放棄する段階に入った。人も変わりがない。小さい頃公園通りをジャージ姿で駆け抜けた中高生たちは今、スーツ姿で同じ道を川のように流れだし、小さい頃見ていたサラリーマンは今、団地で死ぬまで退職金と年金を食いつぶす篭城生活を開始したのだろう。西友は今もある。中学時代の友人が何人か夜勤で働いており、私が母と連れて行かれた事務室でやる気なさそうに監視カメラを見ながらうとうととする。

朝、カーテンを開ける。よく晴れた素晴らしい日。朝食を終えたらどこかへ行こう。父から見ると私の妹、私から見ると娘と呼ばれる女の子と2人で一緒に東武動物公園にでも行ってお弁当を食べるのはどうかな。まだ寝ている女の子を見て、ふと、私は父と母にとっていい子供でいられたんだろうかなぁと、なんだか不思議な気持ちになった。


先月私は28歳になった。