私がほぼ面識のなかった父方の祖母に預けられたのは、中学2年のことだった。

京都と兵庫の県境の小さな町で、祖母は一人で暮らしていた。行き場のない私に対し両親が知恵を出し合った結果、絶縁状態の祖母に預けるというウルトラCを完成させたのだ。


小さな坂の下の敷地に立つ、一棟3世帯の町営住宅に祖母は住んでいた。そこには町の補助を受けて暮らす、祖母含めて3人のおばあちゃんが住んでいた。3人のおばあちゃんは、昼になるとおばあちゃん達が共同軒先で暑い暑いとつぶやく。日が落ちると3人で坂の上の生協まで買い物にでかける。

それはまるで3匹のカメが夕暮れの波にまかせて海を彷徨っているようだと思った。


率直に言って、祖母は私の生活態度が気に入らないようだった。

音をたててものを食うな。15歳で箸もまともにもてないのか。その猫背はどうにかならないのか。私の生活のあらゆる時間を侵食したが、何よりも覚えているのは私ははみがきをしないことだった。

私ははみがきがきらいだった。はみがきをしなくても虫歯なんてできなかったし、歯科検診でほめられていた。私の歯に虫歯が付け入るスキなどなかった。その思いをビールを飲んだ後(祖母は一人で飲むのが寂しいのでいつも私にビールを飲ませた)、酔いにまかせて30分ばかしくどくど説明したところ、それから祖母は何も言わなくなった。

なんとなく気まずい気分になって、私は「あー今日も1日がんばった。はみがきして寝よう。」わざとらしくつぶやいて居間を出るようになった。たいていの日私は、はみがきをした後に自分の部屋でお菓子を食べて寝た。