ぼくが東京からかけつけ父が死んでいるのを確認したとき、25歳の誕生日だった。ぼくは父の葬式中、いかがわしい素性の従兄弟の元自衛隊員に胸ぐらを掴まれ恫喝された。ぼくの人生はどこか狂いはじめていた。30歳を越えてすぐリストラにあったとき、ぼくは、ぼくを構成していた尊厳が崩れ落ちるののを感じた。人を馬鹿にすることでしか心の平静を保てないぼくへの当然の報復であった。




私は10代のころ、アダルトビデオに出たことがある。40歳は越えているであろう女と二人で行儀良く服を脱ぎ、行儀良く乱れた。年老いた女がどの因果でそこに流れついたのか分からなかったが、向こうも同じように思っていたのかもしれない。私は相手の黒人に対し、どのような感情を持っていいのか分からなかった。失礼な言い方だが、同じ人間とは思えなかった。向こうも同じように思っていたのかもしれない。その後その映像は「爆乳母娘に黒ぶっといのを3日3晩」というタイトルで発売された。しかし私の撮影は3日はおろか半日にも満たないものだった。長距離バスで帰る前、もらったお金で渋谷で買い物して帰った。


ぼくは六本木で黒人に殺された。結婚式の余興ビデオ撮影の為に、黒人に喧嘩を売ったためだった(よく分からないと思うが話すと長くなる為事情は省略する。)。東急線沿いにあるぼくの家で、ぼくは酔っ払った黒人の腕と壁との間で息絶えた。




私は兄の家でメモ書きをみつけた。彼が従兄弟の元自衛隊員の殺人を依頼していた事を示すものだった。事実彼はは5年前にメスできれいに内臓を取り除かれ死んでいた。ベッドで犬のような臭いを放つ、冷たくなった兄を見ながら、兄はこの秘め事を1人墓まではもっていきたくなかったんだろうと思った。


家族を思いやることは難しい。ましてぼくはもう死んでしまっているのだから。ぼくは父が死んだ時、ずっと飼っていた犬に嚥下障害が起こり連鎖して死んだことを思い出していた。