はじめまして、人事部の村上と申します。本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、自己PRをお願いできますか。

「ふと、私は自分が宮崎にいることに気付きました。2歳と6ヶ月が過ぎた頃だったと思います。どちらかといえば気難しいタイプだった私はその日もひとり車で夜の高千穂に向かい車を走らせていました。恐らく170キロは出ていたと思います。友人と出かける事はほとんどありません。そのころの私はいつも、今、このまま消えてしまいたいと思っていました。常にどこか遠くへ逃げ出したいとも思っていました。」

2歳で車に乗っていたのですか?

「ええ、正確にいえば三輪車です。私は日産のスポーツカー愛好家でした。私が愛するスポーツカーに、あと15年と6ヶ月も乗れないと言うことを聞かされた時は目の前が真っ暗になりました。古くからの悪友に相談したところ、三輪車にすればバブーのヤツと一緒だからどうにでもごまかせると言う話でした。私は彼の提案に半信半疑でしたが、女と同じく乗ってしまえばこっちのもんだと思い直し、悪友の言うとおり前輪を1つ取り外すことにしました。改造費だけで500万ほどかかった事を覚えていますし、その頃の私には大きな出費でした。それでも私はスポーツカーに乗る必要がありました。私にとって唯一の輝ける時だったからです。」


わかりました。弊社を志望した理由を教えてください。

「虫の知らせ、とでもいいましょうか。体の異変に気付いたのは2ヶ月ほど前のことになります。私は下腹部に違和感を感じました。違和感はやがて痛みとして発現し、下腹部から上がって腰へ、腰から背中へと生き物のように動き回りました。もちろん、病院にも行きました。検査と称して屈辱的な体勢をとらされ、私は内臓に至るまで裸にされました。血液検査を繰り返し、私の腕は穴だらけになりました。しかし、原因は最後までわかりませんでした。自暴自棄になった医者は私の体にメスを入れることを独裁的に決定しました。私の親が猛反対したのも当然だったと思います。砂漠に落とした一つの指輪を探すようなものですから。しかも、指輪があるという事すら分からないのですよ!」