ゆらり、と。


煙草の煙が、悲しそうに揺れた。

時計の針が一つ一つ進む度に、あたしは鳴らない携帯電話を手に取る。

たった一人の、その人の名前だけが見たくて。

ディスプレイに光る、その色が胸の中で滲んでく。






嘘をつくのがうまい人は、きっと優しい人なんだと思う。

傷つけないように、悲しませないように。

そう思って、ばれないように嘘をつく。

きっと彼もそんな風に嘘をついて生きているのだ。





薬指の指輪だって、彼女と居る時にはちゃんとつけているものね。

あたしと会うときは、いつも、ポケットに仕舞い込んで。

この気持ち、気づいてるんだって、思い知らされてた。







でもね

そんなのは優しさなんかじゃないのよ。

そう、力強い腕に抱かれながら、目を閉じて思う。






ビールだって、コーヒーだって苦くて嫌いだった。

淀んだように広がる苦味が、心の奥の方に響いて、なんだか嫌気がさしてた。





あたしはいつから好きになったんだろう。



きっと、貴方を好きになってから、ね。






やめたはずの煙草に、もう一度火をつけた。

口の中に広がったのも、独特の苦み。





目の先で立ち上る煙が、妙に悲しくて、少しだけ目を閉じた。



「会いたい」






その一言を、あたしはどんなにか待ち望んでいただろう。

メールも電話も、いつもいつもあたしからだった。

あたしだけが会いたいみたいじゃない。

そんなのが嫌になって、メールはしなくなった。






これで終わってしまえばいいんだ。

その方があたしの傷は小さくて済むもの。






けれどあなたは、変わらずにメールをくれた。

いつも遠まわしに、会うきっかけを探してた。

お互いを探るみたいに。

はっきりと、言葉にはできない、あなたの性格も、嫌いじゃなかったよ。





でもね、一度でいいから





「会いたい」




そう、言われてみたかったんだ。







生ぬるいビールをゆっくりと口に含んだ。

かすかな苦みが喉の奥の方で疼くと、一粒だけ涙がこぼれた。




あたしだって、泣けるんだよ?




あなたのいない席に

静かに言葉が堕ちていった。






「老化ですね」



カルテを見ながら、少し頭の禿げた医者が言った。


「はぁ…」


我ながら間抜けな声を出して、医師が指さしたレントゲン写真を見つめる。

普段は病気知らずなだけに、自分の体の中を見るなんて、結構貴重な体験だった。



「最近多いんですよ、若いのにギックリ腰」

医者はこっちを見てにやりと笑う。



「コルセットと、飲み薬、出しときますから、しばらくは安静にし
て下さいね」



…老化ねぇ。



待合室に戻ると、小さくため息をついた。

まだ今年で二十四だというのに。

あたしはどれだけ年をとったのだろう。

少し重いテーブルを持ち上げたくらいで、ぎっくり腰。

日ごろの運動不足がたたったのかもしれない。


思えばここ数カ月アパートからもほとんど出ていない。

運動なんて二の次で、ひたすらパソコンと向かい合っては、大学の卒業論文を書き進めていた。

歩く時間も大学とアパートの往復だけだから、せいぜい20分くらい。



無理もない気もする。

やっとのことで完成させて論文を無事提出した翌日にこの状態、なんて、あたしの人生こんなものよね。



まるで出来の悪い漫才のオチみたい、と、少し自嘲気味に顔をあげる。