松野と違い、二人はまさに女子高生という感じのキャピキャピしたノリで話す。

この勢いに圧倒されるが、みなみ塾にはこういう明るい生徒もいるのだと、密かに安心した。

松野は二人の様子を呆れたような顔で見る。

やっぱり冷めているというか、可愛いげがない。

だけどこの二人もそんな松野に構うのが好きなようだし、松野もそういうキャラとしてちゃんとコミュニケーションを取れているようだ。

「化粧水何使ってるんですか?」

「シャンプー何使ってるんですか?」

私には勉強とは全く関係ない質問が飛んでくるが、悪い気はしないし、女子高生たるもの、そうあるべきだと思う。

私だって高校生の頃は、年上の女性にいろいろ教えてもらいたかった。

松野もこれくらい笑顔で話してくれれば可愛げがあるものを……。

「ねえさやか、佐々木先生にも聞いてみようよ」

一人が松野に何かを提案をする。

松野はギクッと顔をひきつらせた。

「やめてよ……」

「なんでー? いいじゃん」

「そうだよー聞いてみようよー」

彼女たちの間には何か大きな疑問のテーマがあるらしい。

美容? ファッション? 恋愛?

この年頃の関心はこれらに集中している。

松野は「わかった」とため息混じりに言って、心底嫌そうな顔で言った。

「佐々木先生……読書感想文の書き方のコツを教えてください」

すかさず「違うでしょー!」とツッコむ二人。

三人はその後もキャーキャー言い合って、結局本来尋ねられるであろう質問は来なかった。

女子高生特有のはしゃぎっぷりを見て「若いなぁ」と感じてしまう。

まだまだ大人のヒヨッコだと思っていたが、私もちゃんと大人になっているみたい。


「10時過ぎたよー。みんな部屋に戻ろうか」

「はーい」

そろそろ就寝準備の時間である。

キリのいいところで生徒たちを部屋に戻さねばならない。

彼らはこれから布団を敷いたり順番に歯磨きをしたりして、眠るための準備をする。

国語部屋でずっと話していた女子高生は、三人仲良く部屋へと戻っていった。

部屋に入ったら、今度はよりディープな恋バナに花を咲かせるのだろう。

そこで松野はどんな話をするのか、私は全然想像できない。

パッと見て可愛いタイプだが、いかんせんあのシャープな性格だ。

素直に自分の恋愛を語れるとは思えない。

それとも、友人たちの間では、わりと素直になったりするのだろうか。

重森とは風呂の前以来、一度も顔を会わせていない。



点呼を取る前、私たち講師は南先生の部屋に集まって短いミーティングを行う。

講師は塾長を含め、全部で5名。

南先生、小谷先生、利かを担当している男性の田中(たなか)先生、そして俊輔と私。

田中先生は艶やかな黒髪でメガネをかけており、寡黙な感じがする。

挨拶や業務に関すること以外、ほとんど話をしていないから、彼がどんな人なのかよくわかっていない。

無表情だしネクラな感じがするけれど、顔立ちはなかなか整っているような気がする。

「今日は一日お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

南先生の号令でミーティングがスタート。

今年は集合に遅れる生徒がいなくてよかったとか、参加率が悪かった分夏休み明けの実力テストで成果が出せるような指導をしようとか、そういう話が出た。

11時に消灯の点呼に回るまで、しばしの休憩タイム。

講師同士の談話の時間となる。

「お疲れー」

俊輔が私の隣に座る。

生徒といたときとは違う“彼氏”の表情だ。

私の恋人ながら、昨日までは密かに「頼りない」と思っていたのに、こうも器用に表情を切り替えられるのかと感心する。

しかし同時に、さっき小谷先生と話したときの悔しい思いが蘇った。

「ほんと、疲れたよ……」

ぶっきらぼうに返した私。

私の気など知らない彼は、クスッと笑う。

「珍しいじゃん。そんな顔して」

「どんな顔よ?」

「今の顔はイケてないぞ」

「はあ?」


完全にアウェーのこの塾で、唯一気兼ねなく話せる俊輔は、ありがたい存在だ。

小谷先生とは風呂で少しだけ仲良くなったけれど、先輩だし忙しそう。

メガネの田中先生は、まだどんな人かもわからない。

「市川先生、ちょっといいですか?」

「あ、小谷先生。どうしました?」

市川先生……か。

コロッと講師の顔へと戻った俊輔。

いつものヘラヘラした俊輔より、少しカッコよく見える。

彼のカッコいい姿を、この塾の人たちは日常的に見ているのか……。

かたや私ときたら、『イケてない』と言われてしまった。

幻滅されて振られてしまうかもしれないと、少し焦る。



夏合宿初日。

疲労と悔しさ、そして少しの焦りを抱き、残りの6日間への決意を新たにした。









 




「ラジオ体操第一ぃ!」

軽快な音楽と共に始まる二日目の朝。

生徒たちはダルそうにラジオ体操をする。

この感じ、覚えがある。

私も中高生の頃はそうだった。

張り切って真面目にやれば、

「あいつ、何張り切っちゃってんの? ダサい」

なんて思われるし、あまりにもダルそうにしていると、

「ちゃんとやれ」

と怒られる。

真面目と不真面目。

この二つのバランスで自分のキャラやポジションが決まる、もどかしい感覚。

彼らはきっと、そんなモヤモヤした感覚の中で自分なりのバランスを探っている。

私は講師として真面目に体操をするわけだが、久しぶりにラジオ体操をやって気付いたことが二つある。

一つは自分が運動不足だということ。

身体中の筋肉が伸縮する感覚を懐かしいと感じてしまう。

自分の中で眠っていた何かが目覚めるような、爽快な気分だ。

もう一つはラジオ体操は結構な運動になるということ。

全身をくまなく、しかし無理なく動かすことができている。

血が巡っていく快感。

なるほどこれはよくできた体操だ。

日差しの強い夏の朝に、じんわりと汗をかいた。

……すでにシャワー浴びたいけど。

「合宿二日目です。今日もしっかり頑張りましょう」

朝礼台に立つ南先生の月並みな話を聞き、朝食を頂きに食堂へ。

食事を済ませると運動着から「先生スタイル」の衣類に着替え、軽く化粧直しをする。

さて、あの二人。

今日は駄々をこねずに頑張ってくれるだろうか。




「おはよう」

国語部屋に入ると、重森が一人、ペンを回して遊んでいた。

松野の姿はない。

「あれ? 松野は?」

「さやか先輩なら……あ、トイレじゃないかな?」

明らかに何か知っている様子だ。

けどまぁ、私は大人だ。

ここは気付かないフリをしてやろう。

直後、松野が部屋に入ってきた。

少し顔が赤っぽく上気している感じがする。

「遅れてすみません。トイレ行ってました」

……嘘だな。

根拠はないけど雰囲気的に。

詮索するつもりはないが、昨日とは違って表情がゆるい。

何かいいことでもあったのだろうか。

「はい、今日は二日目の課題からね」

二人は力なく「はーい」と返し、ダルそうに課題を広げた。

文句は言わず、各々好きな教科から始めている。

国語、数学、英語。

中学生に限っては理科と社会も。

課題はそれぞれ一日分ずつ綴じられている。

今日はすんなり課題に取り組んでくれてよかった。

しばらく自分の仕事をしていたが、私はあることを思い出して二人に声をかけた。

「そういえば二人とも、読書感想文の宿題とか出てる?」

二人はあからさまに顔をひきつらせて顔を上げた。

「……出てますけど」

「……俺も」

こんな顔をするくらい、読書感想文のことなど思い出したくなかったようだ。

私は国語の担当として、彼らや他の生徒の感想文を手伝うよう頼まれている。

重森など「あわよくばサボってやろう」くらい思っていそうだが、夏休みの宿題の提出状況は2学期の内申点に直結する。

高校受験のためにも、サボらせるわけにはいかないのだ。

「合宿中に書いて持ってきてくれれば、添削するよ。書き方に迷うようなら手伝うし」

松野は「はーい」と気のない返事をしたが、重森は心底嫌そうな顔で言い返す。


「どうして本なんて読まなきゃいけないの? 超ダルい」

どうしてって……ダルいって。

そんなに本を読むのが苦痛なのだろうか。

私は小学生の頃から本を読むのが好きだったし、考えたこともなかった。

答えてあげたいが、なかなか気の利いた答えを思いつかない。

「私は楽しみで読んでるけど、学校でわざわざ読ませるのは、言葉の勉強のため、かな」

ありきたりだけど、読むことによって学力が上がるのは本当だと思う。

テストの点という意味でも、読み「慣れる」ことで有利になる。

普段の生活では使わない書き言葉独特の表現もあるし、学校の授業だけではなかなか学べない表現だってたくさんある。

「言葉の勉強って言うけどさ。毎日日本語話してるじゃん。なんで国語の勉強なんてするの?」

難しい質問だ。

文句ばかり垂れる重森に、松野が迷惑そうな顔をしている。

いっそのことまたサクっとメスを入れてほしいところだが、何も言わずに課題をやっている。

重森の質問から逃げれないことを悟り、頭をフル回転させる。

どうして国語、つまり日本語の勉強をするのか。

私なりに答えを紡ぎだす。

「言葉ってさ、正しく読んだり話したりしてるつもりでも、案外間違ってるんだよ。できるだけ正しく読み書きすることで、誤解とか勘違いを減らせるでしょう? それに、普段は簡単な日本語を使って生活してるけど、大事な書類ほど難しい言葉で書かれているし、それを理解できるくらいの国語力がないと、将来生きていけなくなっちゃうよ」

「えー、大袈裟じゃね?」

「そんなことない。ちゃんと勉強しとかないと、悪い人に騙されたりするんだから」


我ながら、極端なことを言ってしまった。

だけど、本当のことだと思う。

重森はなんだかんだと反発してくると思っていたのに、意外と納得している様子。

いつの間にやら松野も課題から目を離し、私の方を向いて話を聞いていた。

私は話を続ける。

「読書感想文って人が書いた文を理解して、自分の意見を書くものでしょ?」

「うん」

「自分がいいと思ったこと、好きだと思ったこと、嫌だと思ったこと、嫌いだと思ったこと。人は誰かと関わりながら生きていくんだし、そういうのを上手に伝えられるようにならないとね」

「あー、確かにね」

そう言って大人しくなった重森。

3回ペンを回して、真面目に課題を始めた。

どうやら私の説明に満足してくれたらしい。

……助かった。

「でも、本ってあんまり面白くないですよね」

ぼそっと松野が言う。

「読んでて疲れるっていうか……。読む気になれないんですけど」

「あー、俺も」

満足してくれたはずの重森まで賛同する。

松野の言う通り、活字は読んでいて疲れることもある。

特に絵で感覚的に捉えられるマンガなんかより、頭を使わないと読むことができない。

でも。

「それってたぶん、自分にとって面白い本に出会ってないだけだよ」

私は自分のバッグを漁り、一冊の本を取り出した。

古本屋で100円で購入した、薄めの文庫本。

古い小説だ。

それを松野に手渡した。


「これ、読んでみて。あたしもまだ読み途中なんだけど」

女子高生が主人公の、ちょっぴり切ない恋愛ストーリー。

物語の鍵を握る、隣のクラスの男の子がすごくいい。

まだ全部読み終えてないから結末はわからないけど、松野もきっと気に入ると思う。

松野は興味なんてないという顔で、パラパラ親指で紙の感触を確かめる。

「値札貼ってますよ。100円だって」

「そこは気にしないで。これは読みやすいし、面白いし、おすすめ」

裏表紙のあらすじに目を通す松野。

「恋愛小説?」

「うん。ちょっとエロいシーンもあるけど、平気?」

私がそう尋ねた時、ガタっと重森が立ち上がった。

「俺も読みたい!」

こいつ今、あからさまに“エロ”に反応したな。

中学生男子め。

それを松野が鼻で笑い、彼をスルーするように答える。

「子供じゃないんですから、平気ですよ」

「冒頭だけでも読んでみて。ダメそうなら返してくれていいから」

「わかりました。ありがとうございます」

松野は本を筆箱の横に置き、課題の処理を再会する。

「えー、ねえ、俺は?」

重森が不満げに訴える。

「はいはい。松野の次にね。まったく、エロって聞いた瞬間に飛びついて」

「そりゃあ、男ですから」

開き直って胸を張っている。

松野が呆れた顔で彼をチラ見。

「ていうか、普通の小説でもエロシーンあるの、案外多いんだよ」

中学生男子の妄想脳を満足させてくれるほどのものではないかもしれないけれど。

……とは言わないでおく。

「へー、そうなんだ。じゃあ俺にも読めるかも」

まさか、エロで釣れるとは。

15歳の少年にとっては、何よりのモチベーションなのだろうけど。

でも女の子だって、興味はあるもんね。



二人は課題を再開。

私も自分の仕事に取りかかった。

他のクラスから届いた国語の長い記述問題や作文の採点、そして提出された読書感想文の添削。

作業している間に他の教室から何人か質問やアドバイスを受けに来た。

来たのは松野や重森と違って素直な性格の子ばかりだった。

やっぱりこの二人が特別に可愛くない性格なだけなのだと安心する。

昼食、昼休み、午後の勉強タイム。

文句を垂れてごねたり嫌味を言われた昨日とは違い、すべてがスムーズに進んでゆく。

効率主義の松野はさっさと課題を片付けて学校の宿題に力を入れ、集中力のない重森は松野の様子をチラチラ気にしながら必死に課題を消化していた。

昨日からずっと一緒にいて慣れたし情が湧いたし、彼らも私を先生だと認めてくれたみたいだから、ちょっとだけ可愛く見えてきた……かも。

午後6時。

今日もこの時間でいったん終了になる。

彼らはこれから風呂に入り、その後、夕食である。

「7時までに食堂ね」

「はーい」

さっさと机の上を片付け、迎えに来た友達と合流していった松野。

直後、彼女の友人のキャピキャピした笑い声が廊下から聞こえた。

若いっていいなぁ……。

私も5年前はあんな感じだったのだろうか。

重森は昨日と違い、スッキリした表情だ。

「今日はお風呂恥ずかしがらないの?」

半笑いでからかうと、

「うるせーな、もう大丈夫だし」

とムキになり、私から逃げるように部屋を出て行ってしまった。

昨日まであんな顔してたくせに。

松野は相変わらず無愛想で、重森は生意気で口が悪い。

だけど、だいぶ馴染めてきた。

進歩であると信じたい。

部屋の床を簡単に掃除して明かりを消し、部屋のドアを閉める。

生徒がいなくなって静かになった廊下を、他の教室を覗きながら歩く。

英語部屋には誰もおらず、明かりも消えていた。

俊輔の担当している社会部屋にはまだ明かりがついている。

まだ彼が残っているのだろう。

話でもしようと部屋のドアを開けるつもりで中を覗いた、その時。

部屋の中に俊輔だけでなく、小谷先生もいることに気づいた。

二人は向かい合っており、真剣な顔をしている。

入ってはいけない雰囲気を感じ取った私は、中の様子をうかがいつつ、一歩後ずさりした。