わたしは言葉を失った。


とりあえず、男の人から必死に目をそらす。


「ね~え?君のことだよ~?聞いてる?」

男の人は、わたしの顔を覗きこんできた。


鼻息が、荒い。
気持ち、悪い。


叫びたいけど、叫ぶ声も出てこない。



男の人はどんどんわたしに体を寄せてくる。



全身が震えて、腰が抜けそうになるのを、必死に我慢する。


誰か、
誰か、
助けて


心の中で、何度も叫ぶ。

しかし、心の中で叫んだだけじゃ、誰もわたしのSOSには気付いてくれない。


「…ぃ、いやっ」

手を振り回して離れようとしたけど、駄目だ。

手首を捕まれる。


「逃がさないよ」

耳元で言われ、気持ち悪い声が響く。
背筋がぞわっ、として鳥肌が止まない。



誰か、
おねがい、

「だれかたすけて…」


涙で視界がにじんだ。



リン。

どこかから、鈴の音がする。


『ったく、泣くなよアホ。
助けてやるから。

そのかわり、キス一回がバイト代な。』


あの気持ちの悪い声と全然違う、かっこいいんだけど、どこか和らげな声。

なんだか、懐かしくて、優しくて、嬉しくて――

――愛しい。

よくわからない気持ちが胸を突き刺した。


次の瞬間。


「にゃあああああああっ」

空間を裂くような、鳴き声が響いた。

真っ白な強い光があたりを支配する。
わたしは思わず目を閉じた。



何秒かして、うっすら目をあける。


わたしの視線の先にいたのは、うめきながら倒れた男の人。


そして、わたしの前に盾のように立っていたのは――


―――真っ黒の黒猫だった。