「ち、か…君」

「なに」


押し返せない。

どうしてなのかは、わからないけど、彼を、千佳君を押し返すことが出来ない。


押し返さなくては、と頭では思うのに、体は言うことを聞いてはくれず千佳君からの優しすぎる抱擁に身を任せている。

―離れな、きゃ…。


「は、はなれ、て…」


震える声で、訴える。

離れて欲しいと、訴える。

この温もりが、愛しいと、嬉しいと思っているくせに。


「やだ」


ぴくりと、自分の指先に力が籠もった。

千佳君のシャツを握る自分の、その指先に。


「で、でも…っ」

「少し、黙って」


異論を唱えようとして直ぐに、千佳君から、強い制止の声がかかった。

しかし強い制止はその場にすっと埋もれた。


私は、何も言えない。

千佳君は、何も言わない。


突然訪れた沈黙に、さっきまで気にならなかった自分の心音が再び音をあげる。


「言えよ」

「え?」


ぽつりと、またこの場に埋もれてしまいそうなほど、小さな声で千佳君が何かを囁く。


「何かあったら、俺に言えよ」

「え…」


耳に直に響く千佳君の声。

そのどこか甘さを含んだ声は、真剣の色を帯びている。


「助けに行く。必ず、何処にいても」


この時跳ねた胸の心音は、きっと勘違いじゃない。