ふ、ふぅ〜ん・・・・。
先生もあの電車にねぇ。
だから拾ったわけだ、その携帯。
「でさぁ。俺、たまたま誰かさんと同じ車両だったみたいで」
「・・・・」
「カーブで電車が揺れて、鞄のポケットから携帯が落ちるところをたまたま見ちゃったワケよ」
「・・・・」
「すし詰め状態だったから、すぐには拾ってあげられなかったんだけど。誰かさんは気づいていないみたいで、サラリーマンの間で潰れそうになってたのさ」
うん、確かにあたしは潰れそうになったよ、あの電車で。
しっかり見られていたとは、なかなか世間も狭いのね。
「それで、ここからがとっても重要なんだけど」
「・・・・は、はい」
嫌な予感。
冷や汗が全身から吹き出そう。
「駅に着いて、みんなドヤドヤと降りたり乗ったりするじゃん? 人が動かないことには携帯拾えないし、ドアが開くと同時に手を伸ばしたのさ」
「・・・・」
「俺、運動神経いいからさ? 拾ったまではよかったんだけど」
あぁ、その先は言わなくても分かります。
・・・・っていうか、聞きたくない。
さり気なく運動神経いいのを自慢されても突っ込む気力もないよ。
「なんやかんやで人に押されて、踏ん張り効かなくて閉まりかけたドアにごっつんこ」
キターー!!
やっぱりそうですか・・・・。
“ごっつんこ”なんてかわいらしい言葉を使っても、全然かわいくないですけどね。
「あれは痛かったなァ。なんで親切に拾った俺がひどい目に遭わきゃなんないんだって話だと思わない? 江田ちゃん」
「ま、まぁ・・・・」
キレイに赤く跡になっているおでこをさらに近づける先生。
もう、冷や汗全開だ。
有無を言わせぬ迫力で同意を求める先生に、あたしはどうしても否定の言葉を言えなかった。
「だから、運の悪い俺をかわいそうだと思って名前書いてよ。江田ちゃんには恩返しをする責任があるワケだしさ」
それに気を良くしたのか、先生はニンマリ笑って言葉を続ける。
目!! 目が笑ってませんけど!!
・・・・かわいそうなのはあたしだと思うあたしは変なのかしら。
いやいやいや。
う〜ん、百歩譲ってだよ?
恩返しをする責任は、あたしも感じないことはない。
こんな小さい物を運良く拾ってもらえて、その人が目の前にいて、返そうと思ってドアにおでこをぶつけちゃったんだから。
なけなしのお小遣いで湿布くらいは買ってあげられる。
・・・・とことん横暴な人ですが。
「で、でもっ・・・・!急にそんなの持って帰ったら、お母さんなんて言うか。うまく誤魔化せません」
だって、ねぇ。
理由が理由だし、口が裂けても携帯を落としたなんて言えないよ。
それにあたし、自慢じゃないけど誤魔化したり嘘をつくのはめっぽう弱いんだよね。
すぐに顔に出るタチ。
「そこは江田ちゃんに考えてもらわないと。俺、そこまで首突っ込むのは面倒くさいし。パス」
パスって・・・・!!
先生が言い出したんでしょうが!!
もう、あたし泣きたい。
泣いてもいいですか。
いいよ・・・・ね?
そうして、時間軸は今現在へ。
先生はあたしの顔を覗き込むようにして不敵な笑みをこぼした。
───*。゚
「はぁぁぁぁ〜」
あたしって、とんでもなく運が悪い子なんじゃなかろうか。
うん、きっとそうだ。てか、無理にでもそう思い込まなきゃやってられない。
ドンマイあたし・・・・。
帰りの電車の中。
あたしはとてつもなく長いため息をつきながら携帯を握りしめた。
やっと戻ってきたよ、マイ携帯。
その代償はかなり大きいけれど。
あれからあたし、すごくすごく、ものすごーく頑張ったんだ。
「か・・・・返してくださいっ!」
「嫌。返してほしかったら塾に入り直せ。みっちり鍛えてやるから放課後はないと思え。いいな?」
けれど、やっぱりダメで・・・・。
先生は頑として譲らなかった。
もうあたしの放課後はないんだってさ。ふざけんなっ!
結局、嫌いな人より怖い人を取ったわけだよ、あたし。
お母さん、おっかないんだぁ。
ついでに、キラキラしない高校生活を選んだわけだよ。
携帯を持っていないと、3年間浮きまくりな気がして。
「はぁぁぁぁ〜」
もう一度ため息をついて、席から落ちるんじゃないかってくらいズルズルと沈み込んだ。
それからパカッと携帯を開く。
約1日ぶりに触る携帯は、うっすら傷が付いているけど懐かしい。
ディスプレイには、あたしが公衆電話からかけた着信履歴。
画面の左下で、確認して〜と言いたげにマークが表示されていた。
でも今は、それにかまってあげられる余裕がないのよ、あたし。
なんてったって・・・・。
【片桐柊】(カタギリ シュウ)
たいそうご立派な名前が登録されてしまったんだもの。はぁ。
横暴もここまで来ると、いっそ清々しい気分になるのはなぜ?
知るかそんなもんっ。
「江田ちゃんに限ってそんなことはないと思うけど」
渋々、申込書を取ったあたしに、先生は“けど”の部分を強調しながら意地悪く言った。
「も・し・ものことがあったら困るからねェ。赤外線ね」
それは、あたしが塾に入らずとんずらをこくってことらしい。
そうしたい気持ちは山々ですが。
用意周到というか、ぬかりないというか、ある意味すごい。
バカにされるだろうから言わなかったけど、とんずらをここうなんて少しも思い浮かばなかった。
申込書を手に取った時点で、あたしは3年間を諦めたの。
そういえば・・・・。
中3の頃、女子の間で先生はとにかく人気だったっけ。
携帯の番号やアドレスを聞きに行く女の子が絶えなかったけど、先生は教えなかったみたい。
あたしは強制的に居残りさせられていたけど、熱烈なファンの子は自主的に居残りしていたり・・・・。
そうそう、バレンタインなんかはチョコの山がすごかったよなぁ。
その子たちの目には“かっこいい塾講師”に映る先生。
そんな先生の番号とアドレス、簡単にゲットしちゃったよ。
トホホ・・・・。
『次は河南町〜、河南町〜』
悲しい気分に浸っていると、あたしが降りる駅のアナウンス。
もう落とさないよう鞄の中に携帯をしまい、降りる準備をした。
家に帰ったらお母さんになんて説明しよう・・・・。
はぁ、身も心も重たい。
「ただいマンモス〜」
「うわっ。やめろよ茜、んな猛烈にダサいダジャレ。メシがまずくなるじゃねーか」
「言いたくもなりますよ、お兄。あたし、もうダメかも・・・・」
「ん? どしたの」
トボトボと家に帰り、夕飯時だったこともあってそのまま食卓に直行したあたし。
最初に手荒く迎えてくれたのは、6つ上のお兄ちゃんだった。
ハンバーグをむしゃむしゃ食べながら、テーブルに崩れ落ちたあたしを不思議そうに見ている。
「ちょっと茜、その格好!それに帰りが遅くなるときは電話しなさいって言ってるでしょ。何のために携帯持たせたの!」
「へぃ」
「返事は“はい”!」
「・・・・はい」
そこにやって来たのは、あたしのぶんのハンバーグを用意してくれたお母さん。
さっそく雷を落とされた。
「あのね、お母さん」
「なに?」
お母さんが席についたのを見計らって、ハンバーグの前に鞄から紙を取り出し無言で差し出す。
嫌なことはさっさと済ませて、美味しくハンバーグを頂きたい。
「塾の申込書?」
二つ折りにしたそれを開いたお母さんは、目を丸くして驚いた。
お兄ちゃんも同じ顔。
隣のあたしを見て、マジかよ? という視線を送ってくる。
「うん。高校生になったら勉強も難しくなるでしょ? あたし、授業だけじゃ勉強追いつかないと思うんだ。特に数学は」
電車の中や帰り道で必死に考えた台詞、その1。
“数学は”のところをそれとなく強調して、申込書に目を落としたままのお母さんの顔色を窺う。
あたしの数学のダメダメっぷりは家族の中では周知のこと。
高校受験は、それがきっかけで塾に入れられたようなものだった。
「どう思う? 薫」
「どうって何が?」
薫(カオル)とはお兄ちゃんの名前。
お母さんの聞いた意味がよく分からないらしいお兄ちゃんは、少し面倒そうに聞き返した。
「だって茜が・・・・。あんなに嫌いだった数学を自ら克服しようとしているなんて!お、お父さんっ」
チーン!
仏間の鐘が鳴る。
お母さん、どうやら感激しちゃったみたいだよ。
「相変わらず激しいな、オカン。まだ死んでねーっつの」
「だねぇ・・・・」
仏間に駆け込んだお母さんを見てお兄ちゃんと苦笑いをこぼす。
おっかないお母さんだけど、こういうところはかわいい。
とにかくお父さんが大好きで、何かあるたびにチーン!ってする。
「で、どういう風の吹き回し? 塾なんてもうコリゴリだったんじゃねぇの?」
「あー、うん。話せば長くなるから後でね。てか、そろそろハンバーグ食べていいかな?」
「いーんじゃね?」
お母さん、一度仏間に入ったらなかなか出てこないんだ。
一応お兄ちゃんに許可をもらい、やっとハンバーグに箸をつけた。
お父さんは今、単身赴任で大阪にいて、たまにエセ大阪弁で電話をかけてきたりする。
のほほん系のお父さんだから、お母さんは必然的に厳しくなったのかもしれない。
小さい頃はとにかくお母さんが怖かったけど、ちょっと大人になった今は、なるほど、と納得することが多くなった。
お母さんの気質を受け継いだのはお兄ちゃんで、お父さんの気質はあたしだ。