「何か、用ですか」


 怯むことなく見据える瞳。

 二人いても敵わない、そう思わせる凄みがあった。

 迫力で既に負けているのは明白で、ナンパ男たちはお約束に従って立ち去って行った。

 諦めが悪かったり、
 乱暴だったり、
 相手が強いと知るなり逃げ出す。

 あたしでは、ここまで展開を動かせなかった。

 感情に任せて怒って、大騒ぎになっておしまいだ。

 ナンパたちは雨の中に走って消えてしまった。

 後姿が消えるまで、彼は降り止まない豪雨の先を見据えていた。

 やがてふう、と熱っぽい息を吐いて強張った表情が和らぐ。

 見れば、ぶたれた頬は痛々しく赤くなっていた。


「余計なお節介だったかな」


 既に右手は離れていた。

 何人も同年代の男子を見たけど、この人みたいな固くて大きな手のひらは見たことがない。


「あ、あの……」


 咄嗟に、お礼を言わなければいけないと思った。


 いつも通りに、常識的な、処世術的なお礼をしようとして。


 どうしてかすぐに出てこなかった。


 人に合わせるのは簡単で、人当たりのいい態度をとるのは難しいけど苦ではない。

 当たり前のように行ってきた、表面上だけの感謝や感動。

 お礼はその一部でしかないはずなのに。

 見上げるように呼び掛けた。
 行き場もなく挙げた右手が、不恰好だった。


「どうかした?」

「いえ、あの……」


 言葉が続かない。
 いやな沈黙が落ちた。

 真っすぐ見下ろす鋭い瞳の中に締まりのない顔をした、あたしがいた。

 時間にして十秒も経っていなかったが、永遠にも思える沈黙だった。

 不快で腹立たしくて息苦しい。

 そんな沈黙を破ったのは、男の子の方だった。


「じゃあ、用事があるから」


 軽やかに手を振って、ナンパたちと同じように雨の中に消えていく。

 その背中に、形容しがたい思いがあった。