彼は台所にいて冷蔵庫の前でコップに烏龍茶を注いでいた。
「寛行さん」
「あれ?僕が起こしちゃった???」
「うんん、ぜんぜん違うの」
ふと、時刻を示す電子レンジのデジタル表示の4つの数字が目に入る。
“02:13”
日付のかわった今はもう11月16日。
私は、てとてと歩いて彼に近づき――
そして――
「お誕生日おめでとう」
コップとペットボトルで両手がふさがっている彼を、心をこめて優しく優しく抱きしめた。
「ありがとう。そういえばさ、去年もこんなふうに……」
「ん?」
「君が前泊(まえはく)してくれて、一番乗りで祝ってくれたんだよね」
「前泊って……学会出張みたいな言い方」
前泊(まえはく)というのは、学会の会場が遠方のときに出てくる言葉。
移動時間が長いと当日朝の出発では開始時刻に間に合わないことがある。
そこで、前日のうちに現地へ赴き宿泊して翌日の学会の参加するというわけなのだ。
「“前泊”が通じる人が奥さんになってくれるなんて嬉しいよ、僕は」
「普通の会社ではどうなんだろ?出張のときとか。同じ言い方じゃないのかな?」
「さぁ、どうだろうね。学術界ってヘンなところだからね」
「寛行さん、それ言っちゃうかなぁ」
私が笑うと彼も一緒に楽しそうにくすりと笑った。