その小さい石ころは、「金剛石」と呼ばれた。部分的に鋭利なナイフとして活用できるだけであって、決して使い勝手の良いものではなかった。二束三文の石ころだった。

 その石ころを並べて、子供達は「算数」を学んだ。一と二から成り立つ、「二進法」が作られた。そこから偶数・奇数も見いだされた。

一から一0までの「一0進法」が作られた。さらに足し算・引き算・掛け算・割り算なる算数の計算方法が求められた。割り算では分数も使用された。「一二進法」により、時計が作られた。「数学」が発達した。

 一0は存在しても、「0」はまだ存在していなかった、必要性がなかったようだ。「0」とは、紀元前二世紀頃になってから、「インド」という国で発見され確立・普及されるようになるであろう。

私は、また「アカシック・レコード(記録)」と呼ばれる未知のエネルギー体と接触し、そんな夢を見た。それは、未来を見通すことのできる夢のようだ。

 設計図を作るのに、図形が必要とされた。長さの単位や重さの単位などが求められた。木の棒と麻ヒモからコンパスが作られ、円が描かれた。

初めは円の外側と内側に、正六角形を描いた。それを正多角形で次々と描き出すことで、「円周率π・三.一四…」が発見された。円を計算するには、重要な数字だった。

 建築や芸術の世界では、「神の比」が活用された。「黄金分割(黄金比)」だ。隣り合う二辺の長さの比が、「一.六一八対一」になっている長方形は、どの「長方形」よりも神秘的に美しく見えるようだ。

 研磨技術も優れていた。水晶の採掘により、数十年とかけて完全なる真球の玉がつくられた。キズ一つない、ゆがみも何一つない芸術品だ。その製作方法は技術者のみ語り継がれ、一般人には口外されることはなかった。秘伝の技術だ。

 切削技術も進み、大理石・花崗岩などを加工して、石像や建物が建てられた。特に神殿の巨石建造物は、寸分のすき間も、狂いもない精巧な技だ。

 セラミック製(陶器・磁器など)の刃物も作られた。ナイフで死体を解剖することで、人体の構造が解明され医学が発達した。これにより大勢の生命を救うことができた。