エジプト文明(地中海東南部)

「エジプトは、ナイルのたまもの(ヘロドトス)」

 エジプト王国は、紀元前三0一~一九八年に、プトレマイオス王がエジプトを引き継いでプトレマイオス朝エジプトを創立させた。

紀元前五一年、マイ一三世は、王位を継承するために姉パトラと近親結婚をしてしまった。

エジプトの習慣により、例え王子といえども姉妹のほうが、身分が高く、その女性と結婚しなければ王位に就けなかった。

 この悪習を打破するため、側近の助言により、姉パトラを追放してしまった。しかしエサルの支援により、パトラはマイ一三世を殺害し、エジプト最後の女王の座に就いた。

けれどもエサル皇帝の死後、パトラは故郷エジプトの首都、アレクサンドロスに戻るのであった。

 紀元前三三年、エサル皇帝の部下アントは、ローマを捨ててパトラと結婚した。紀元前三0年、ビィアス(母はエサルのめいで、エサルの養子)はアントを追って、エジプトに攻撃を仕掛けた(アクティウムの戦い)。

 逃げ場を失ったパトラは、コブラの毒液を飲んで自害するのであった。神経毒なので、熟睡したように早期に死を迎えることができた。

筋肉毒(マムシ、ハブなど)だと、皮下出血、痙攣、壊死などの激痛を起こし苦しみながら死に至る。

 パトラは、数百人以上の奴隷を実験台にして毒蛇の研究をしていた。また、蛇毒を少量ずつ馬に注射することで、「抗毒素血清」を開発していた。毒をもって毒を制する。私も蛇に咬まれて死ぬより、神経毒を飲んで死にたい。

 ちなみにパトラは決して美人ではないが、頭脳明晰で、弁舌が巧みで魅力的な女性ではあった。

その後息子のサリオンも殺害され、三00年も続いたプトレマイオス王朝エジプトは、幕を閉じるのであった。

「我エジプトよ、さようなら(クレオパトラ七世)」