ローマ帝国(地中海一帯)

「ローマは、一日にしてならず(ジュリアス・シーザー。英語名)」

「人間とは、自分の望むことを信じたがるものだ(カエサル。ローマ名)」

 ローマ帝国は紀元前七五三年、初代国王ロムルスによってその支配が始まった。その後、いくつもの戦いを得て、古代ローマ帝国を築いた。

紀元前二六四年から紀元前一四六年、ローマは三回にわたってカルタゴ(北アフリカにあるフェニキア人の植民地)を破った。ポエニ戦争である。

「我来たり、我見たり、我勝てり(シーザー)」

 紀元前一00年、エサルは旧貴族リウスの子息として、生まれた。伯父が民衆派(ポプレス)であり、伯父の政治力によってエサルは神官に任命された。

 紀元前八四年、ネリアという女性と結ばれた。エサルは、閥族派(オプテス)の首領スラと対立し、一時はローマから離れていた。その間に、紀元前七一年、ススは南イタリアのトラキア人、スパルタクスの反乱を鎮圧した。

 紀元前六三年、ローマの将軍となったエサルは、エルサレムを征服した。紀元前六0年、エサル将軍は大富豪ススとウスの三人で三頭政治を始め、属州ガリアの総督になった。

エサル将軍は仲間割れを起こすと、ウスを退陣させた。エサル将軍は、執政官(コンスル)に選出され独裁君主となった。

紀元前五一年、ガリア地方(フランス・ベルギー・北イタリア)を征服した。紀元前四九年、ルビコン川を渡ってイタリアに入った。

「サイは投げられた。子は反逆を愛すれど、反逆者を憎む(シーザー)」

 紀元前四七年、エサル皇帝はエジプトのマイオス一二世の娘パトラと結婚し、息子サリオンを得た。

そして紀元前四四年、元老院たちは、エサル皇帝の独裁政治に嫌悪感を抱き始め、側近のブータスによって彼は暗殺されてしまうのであった。

「ブルータスよ、お前もか(シーザー)」