プラト

「克己(自分に勝つこと)は、勝利の最大なるものなり」

 紀元前四二八年頃、貴族出身のプラトが生誕した。ソクラの弟子である。彼はアカデミー(協会、学会、院など)を設立し、そこでイデア論(見えている物、形、姿の意味)を唱えた。感性・感覚ではなく、理性によってその物の価値判断を認識することだ。

 プラトは、ディオ国王の側近として仕えた。国王たちも苦悩した時は、やはりプラトに相談をもちかけたようだ。

「国家も人間も変わりはない。国家も、人間の様々な性格から成り立っている」

 ギリシャ人は「神話」に対する思いはあっても、心をとりまく宗教的な崇拝はない。だからこそ、哲学と称してそれを学問として取り入れた。

「全ての美は皆兄弟なれども、思想の美はその中の長男なり」

 プラトは失われた文明、「アトラス大陸」の仮説も論じていた。大西洋や地中海に、存在したと主張している。西へ旅行した時に、そんな寓話・戯言を耳にしたのであろう。

「哲学は、死に対する準備である」