ギリシャ帝国(所在地、地中海南東部)

 哲学者ソクラ

「私が知っている一切は、私が何も知らないということだ」

「私はアテネ人ではない、ギリシャ人でもない、世界の市民である」

 紀元前四七0年頃のギリシャで、ソクラという人が生まれた。無知の知、「汝自身」を知れ、という徳に至る道を説いた哲学者だ。

生きること、人生の根本原理を学問として理論づけた。理論と道徳を組み合わせ、その真髄を追求することにある。哲学とは学問であって、決して宗教化されたものではない。

「太ったソクラテスより、やせたソクラテスになれ(作者不明)」

「悪妻は六0年の不作」

ソクラの女房チッペは、悪妻の代名詞と呼ばれた。亭主の稼ぎが悪くて、いつも貧乏だ。出世もしないためチッペは腹立たしく思い、夫に対してのいじめや暴力は日常茶飯事だった。私も、ソクラの気持ちがよく分かる。

 弟子たちから離婚を勧められても、ソクラは別れなかった。なぜなら、彼は人徳の兼ね備えた人格者だからだ。

「離婚してどうなる」と言って、助言を拒否した。私なら、絶対に喜んで離婚届にサインしていることであろう。

「最も深き欲望より、しばし最も恐ろしき憎悪は起こる」

 晩年、ソクラは不敬罪(神や国王たちに対して、敬意を失した行いをすること)で起訴され、毒ニンジンを食べて処刑されてしまった。

「満足は、天然の富だ。名誉ある死は、不名誉な生より善し」