ブッダ

 紀元前五00年頃~紀元前四00年頃、インド北部(現ネパール)にあるシャー国に王子が生まれた。ゴーマ・ジダル。仏陀(仏・覚者・悟れる人)とも呼ばれた。

 老い・病い・死に対する苦悩から解放されるべく、二九歳の時にジダルは財産も妻子も捨てて、出家(俗世間を捨て、仏道の修行をすること)してしまった。

六年後、ジダルは菩提樹の下で座禅を組み瞑想にふけっていた。そこでジダルは、万物の真理に目覚めた。

 ユダ教は、絶対的な「主」に祈ることで道を切り開いた。どんなに努力をしても、神とは対等にはなれない。「主」に命じられることを、信じた。いわゆる「他力本願」だ。 

 反面仏教徒は、真理を悟ればだれでもブッダになれる。自分の努力次第で、己の道を決定する「自力本願」を追究することにあった。そこにユダ教とは、大きな違いがある。

 ジダルが求めた真理とは、多分「中道」であろう。この世には光と影、陰と陽、生と死、プラスとマイナス、火と水、戦争と平和、善と悪、正と負、男と女、相性の合う人合わない人、「物質(ぶっしつ)と反物(はんぶっ)質(しつ)」などがあるように、二つの世界が常に介在する。

 その二つを仲良く調和を保つために、「中道」が必要とされるようだ。でも、中道を保つということは、並大抵の意志ではできないものだ。