紀元前四九九年から紀元前四四九年までの五0年間、敵国ギリシャと長く続く「ペルシャ戦争」が始まった。

紀元前四九0年、「マラトンの戦い」でオス国王は、ギリシャを攻撃したが、その指揮官アデスによって敗退を喫した。

 この時ギリシャ軍は、勝利を伝えるために伝令者をアテナイ国(現ギリシャの首都)まで走らせた。

距離にして三六.七五キロメートル。これを契機にして、古代オリンピックの「マラソン競技」が始まった。

 紀元前四八0年、子息のクセル王が「テルモビュライの戦い」で勝利したが、「サラミスの海戦」では撃破されてしまった。

紀元前四七九年の「ブラタイアイの戦い」、「ミュカレの海戦」でもペルシャ軍は敗退してしまった。第二回ペルシャ戦争だ。

 紀元前四七七年アテナイで、ペルシャと対立するためにエーゲ海一帯の諸国が、デロス島にて同盟を結んだ(デロス同盟)。

これによりペルシャ帝国の立場は、さらなる危険にさらされた。紀元前四四九年、「カリアスの和平条約」をもってギリシャは、ペルシャ戦争の終結を宣言するのであった。