そういって和哉の方を振り返った碧の眼前に広大な暗闇が広がった。

(な、なにこれ…!?)

慌てて回りを見渡そうとした碧の背筋を貫くような冷気と殺気が支配する。かつて無いほどの恐怖に碧は声も出せず身動き一つする事さえ出来なかった。

(お兄ちゃん助けて…)

振り返ればそこにいつもの鬼が…怨念のかたまりとでも言うべき恐怖そのものがいるのは分かっていた。

今にもその血にぬれた手が碧の肩にのりかかりそうである。

両者の間にある空気の振動が鬼の哀しげな咆哮によってビリビリと震えるのがはっきりと感じ取られた。

心臓の鼓動は今にも胸を突き破り体が張り裂けそうである。

中腰で不自然に首をねじったままの碧は気力を振り絞って顔を元の位置に戻した。

予想以上の至近距離…殆ど数センチのところに真っ赤に濡れた瞳が碧を見つめている。
その血走った眼から滴り落ちる鮮血とも涙とも分からない液体が碧に降りかかり、すんでの所で耐えていた自制心が爆発した。

「いやー!こっちにこないで!」

無我夢中で腕を振り回す。

その両手を誰かががっしりと包み込んだ。
慌てて回りを見渡すとそこは元のレストラン。中腰のまま後ろから和哉に抱きかかえられた状態で碧は自分が一時的に気を失っていた事に気付いた。

「大丈夫…もう大丈夫だから…俺がついてる」

自分でも何が起こったのかわからず、静香と雅彦も驚いて、少し引いている。

何かの拍子に気を失って、その間妙な事を口走ったのだろうか碧は不安になった。

「私…私、どうしたの?」

「碧あんた、急に後ろにひっくりかえっちゃって…何か呟いて、それで…びっくりしたわよ。碧死んじゃうかと思った」

「そう、ごめんね驚かせちゃって。やっぱり私の頭どこか壊れてるんだわ。病院にでも行った方がいいのかな」