それから薄ら笑い続ける崎山を無視して、俺は到着を待った。
途中、開通10周年記念だとかでドリンクサービスのコンテナが回ってきて
「あ、コーラください。こちらの彼女にはぬるい水を」
とほがらかに言い放つ以外俺は何もしゃべらなかった。
東京まであと10分ほど、のアナウンスが流れる。
イヤホンをはめて読書にふけっていた崎山は、思い立ったように俺に顔を向けた。
「今日、うちのマンションまで直接行くの?」
「………」
「行くとしたら昼?夜?」
「……たぶん夜」
「途中でピンポン鳴らしていい?」
「お前……そんなに俺をノイローゼに追い込みたいの?」
「違う。私、着いたらすぐバイト先寄るけど、そん時余りのケーキもらえるから、あげるよ。二人で食べなよ」
「はあ?なんでそんな……」
「渡したらすぐ帰るし。上がりこもうなんて思ってないよ。ケーキに一周年おめでとーって書いてあげる」
崎山の脳内ではもう訪問が確定しているらしく、にこにこと笑っていた。
なんで崎山が俺のためにそこまで?と一瞬だけ思ったが、違う。
この場合、優先されたのは、あかねか。
「あー、あかねに会うの久しぶりだなあ。楽しみっ」
「……すぐ帰れよ。ケーキだけ置いてすぐ帰れよ!!」
こんなやつに、とは言え、同性にも愛されまくりな俺の彼女。
ちょっと嬉しい。
一旦、自分のアパートまで帰る俺は、駅で崎山と別れた。
「じゃ、7時くらいに来なよ。私が1階のオートロック開けてやる」
あかねと崎山が住むマンションは、1階がオートロックになっていて、住人に開けてもらわないと中に入れない。
あかねに開けてもらうつもりだったが、崎山が開けてくれるならそれはそれで助かる。
やっぱり、玄関先でのサプライズの方が喜んでくれるだろうから。
あかねが玄関を開けた瞬間、どんなことを言おうかな。
まず、おみやげを渡すべきか?
毎日電話はしていたけれど、あかねの顔を見るのは二週間ぶりだった。
我ながらゲロ甘だとは思うけど、この上ないくらいわくわくする。
俺の彼女、香坂あかねは、可愛い。
自惚れじゃなくて、本当に可愛い。
俺とあかねが出会った合コンで、あかねはびっくりする位モテて、俺はびっくりする位モテなかった。
すっげえモデル級の美人!ってわけじゃないんだけど、ちょっと童顔で、小柄で、髪の毛がふわふわで、優しくて、人付き合いの良いあかね。
人付き合いが苦手な俺は、あかねに憧れた。
友達に応援されて、なんとかメールアドレスを手に入れて、最初のうちは1日数回のメールが続いた。それだけでも俺はすっげえ幸せだった。
それが、1日数十通になったり、電話をするようになったのは、俺が崎山を通じてあかねにコミュニケーションを取るようになってからだった。
駄目もとでもいい、告白しようか。
そう思った矢先、先にあかねの方が俺に告白してきた。
夢だと思った。
夢じゃなかった。
癪だけど、俺とあかねがここまで仲良くなったのは、崎山のおかげなんだ。
これだけは、崎山に感謝してる。これだけは。
今日で、付き合って、1年が経つ。
一刻も早くあかねに会いたい。
02.
で、俺は、6:55にあかねのマンションに着いた。
自分のアパートに寄ったのは、文字通り“荷物を置くだけ”になってしまったから、服もそのままだけど。
教習終了祝いにもらった、なんかキリンっぽいキャラクターが乗ったミニカー。(あかね、こういうの好きだから持ってきた)
長野のおみやげ。
あかねに頼まれてたご当地キティちゃんのシャープペンシル。
それらを全て抱えて、俺はインターホンを鳴らした。
「はい、崎山です」
「あ……俺だけど」
「おう!悪いけど、あとであかねん部屋まで行くから、先に行ってて」
「え?」
「感動の甘ーーーい再開くらい二人っきりでやりなよ」
「………」
「じゃ、開けるから」
ガチャ、と乱暴にインターホンが切られると同時に扉が開いた。
あかねの部屋の前について、ひとつ、ふたつ、深呼吸をする。
(あかね、どんな顔すっかなー……)
さあ、ベルを押そう、とボタンに手を伸ばしたとき。
「ね、今日、よかったら泊まってかない?」
中から、かすかだけど声が聞こえた。
あかねの声だった。
まさか、バレた?
一瞬ヒヤリとしたが、そんなわけがない。
ボタンを押そうとする手を一旦止めて、俺は耳をすませた。
あかねのほかに、誰か、いる?
「いや、持ち帰るの仕事があるから……今日は遠慮するよ」
男の、声だった。
(お父さん?……いや、ないないないないない!)
頭が真っ白になった。
なぜかここでベルを鳴らすことはためらわれた。
なるべく音を立てないようにして、新聞受けのカバーをそっと開ける。
のぞきこむと、視界は狭いが、そこから室内が見えた。
ドアを隔ててすぐ向こうに、あかねのものらしき華奢な足。
そして、もう一人。
革靴とジーンズ姿の、男。
話し声は何も聞こえない。嫌な沈黙。
何かの、間違いだよな?
ただそれだけを切に願って、俺は無意識に扉のノブを握っていた。
カギは、開いていた。
そのあとは、思い出したくもない。
ノブをひねった。
鍵は開いていた。
音を立てないように小さくドアを開けた。
あかねがいた。
男もいた。
なんか密着してキスしてた。
しかも深い方だった。
俺が覗いてることに気がつかないくらい、興奮していらっしゃった。
ドアを閉めた。
持っていたミニカーのキリンの角が折れた。
何が起こってるのかわからなかった。
腹が減った、ケーキが食いたい。
「……あんた、何してんの」
はっと振り向くと、ケーキの箱片手に崎山が立っていた。
俺が手落としたキリンを拾い上げて怪訝そうな顔をする。
「え?あかねは……」
俺は何も言わずに、力無く新聞受けを指差した。
崎山はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、俺の様子を察して新聞受けを開けてのぞいてくれた。
「どうしたの。一体なにが……」
言いかけた崎山の台詞が、止まった。
新聞受けからばっと手を離すと、崎山は血相を変えて扉を開けた。
そのとき、崎山が持ってたキリンさんが床に投げつけられて粉々になった。
かわいそうなキリンさん。
……とか思ってたら、崎山に腕を引かれて俺も部屋に突入した。
すげえよ、俺いま、現実逃避してたよ。
「あかね?何やってんの?この人、誰?」
崎山が入っていくと、あかねと男は電流が走ったみたいに飛びのいてた。
「え……比呂子……なんで……っ……尚くん!?」
あかねは俺を見て、目を見開いた。そりゃそうだよな。俺、お前に、明日帰るって言ったんだもん。
俺は呆然としたままで、崎山だけがわなわな震えていた。
情けないね。
あかねの唇がまだてらてら光ってんの見て、俺は失神しそうになったよ。
とりあえず、あかねの部屋に入って4人で話すことになった。
俺からは目をそらしつつ、あかねは
「お茶……いれるね」
と言うと、崎山に
「いいから座って」
とピシャリと制止されてた。
んで、俺はというと、この後に及んでも何も言えなかった。
男は、俺よりもかっこよくて背が高かった。
男も何も言わず、気まずそうに視線を逸らしている。
あの、どこの人ですか?と俺が言おうとするよりも先に崎山が
「川越さんも、何やってるんですか。婚約者いますよね?」
崎山が言って、しばらく考えて、思い出した。
崎山とあかねが働いてるケーキ屋の社員さんだった。
あかねが、目じりにぽろぽろと涙をためて泣きじゃくり始める・
「ごめん……ごめんね、比呂子……」
「わたしに謝ってどうすんの!?木下に謝りなさいよ!!」
「木下くん……本当にすまない。俺が悪いんだ、俺が誘ったんだ」
俺、放心してて、他人事みたいな気持ちで眺めてた。
なんで、俺に謝んないの?
なんで、お前があかねをかばうの?
ここまで来て初めて、「ああ、俺浮気されたんだなあ」って思った。
夢だと思った。
でもやっぱり夢じゃなかった。
なんで?