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かんたんな流れのとき。

商品の「価値」は、
おかねという姿をとって、
商品の「使う価値」と、
向きあっている。

それは、
商品の「使う価値」とは、
べつにされている。

しかし、
この姿で立っているだけで、
せいいっぱいだ。

「富としての」流れでは、
そうではない。

このときは商品の「価値」は、
自分でぐいぐいと、
進んでいく。

決まりきった道すじを、
勝手に進んでいく「物」である。

この「物」にとって、
商品も、
おかねも、
どちらも、
自分がまとう姿のひとつだ。

そしてもう、
それだけではない。