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「価値」は、
50円だ、
いま、
60円になった…。

そんなふうに、
おかねになっているときが、
「価値」自身でいられるときだ。

しかし、
おかねそのものは、
ひとつの「姿」だったはずだ。

ふたつの姿のうちの、
ひとつだった。

だから、
商品の姿をとらないと、
「価値」は、
「富」になることが、
できない。


そんなわけで、
「富」になるときのおかねは、
商品と、
けんかをしない。

「かかえこまれて」いたときには、
にらみつけていたはずなのに。