ふと、
あたしの手をつかんでいた、
ソラの手の力が緩んだ。
そして、一言。
「なんだよ……これ」
あたしは、自由になった両手で自分の顔を覆った。
「おい……美夕、なんなんだよ……これ」
ソラが見たもの。
それは、あたしが痛みに耐えながら自分の体に刻んだ、
「ソラ」という
大好きな相手の名前だった…………
「美夕……」
「ウソだからね! これも、ソラをだますためのウソなんだから!」
あたしは、何か言いかけたソラの言葉を遮って、そう叫んだ。
顔を両手で隠して、
その奥で、
いっぱいいっぱい泣きながら。
いっぱいいっぱい震えながら。
すると、
今まで怖いだけだったソラの手が、急に優しく、柔らかくなって、
あたしの腰に触れた。
そして、1本の指で、あたしの傷の跡をゆっくりとなぞった。
「バカなことして……」
あたしのおなかに、ふわりとソラの髪の感触がした。
そして、その場所に温かい息がかかる。
次の瞬間、あたしの腰……ちょうど傷のあたりに、
柔らかい唇の感触と、
チクッと刺さるような痛みを感じた。
「……やっ!」
あたしは顔を隠したまま、体をビクンと引きつらせた。
その後すぐに、
「美夕……ごめんな」
ソラは優しい口調でそう呟くと、
ベッドを軽く上下に揺らしながら、あたしから離れていった。
そして、何もいわずに、そのまま部屋から出て行った。
ソラが階段を下りて、玄関を出て行く音を確認すると、
あたしはゆっくりと体を起こした。
そして、自分の腰の、まだ腫れがひいていないその箇所に触れてみる。
傷は、まだ熱を持っているみたいに熱かった。
あたしは、恐る恐るその傷に目を向けた。
おそらく当分は消えないだろう、あたしの心の叫び。
不細工で、ガタガタな「ソラ」という文字。
その横には、小さな、小さな、キスマークが残っていた。
「う……ううっ……」
あたしは、その傷に手を当てたまま、もう一度ソラのベッドに横になると、
いつまでも、いつまでも泣き続けた。
携帯の充電器を持って、あたしがキラの待つ自宅へ帰ったとき、キラは疲れ切って眠っていた。
キラの寝顔……さっきのソラと同じだ。
あたしはソラにしているのか、キラにしているのか、よく分からない気持ちで、
キラにそっとタオルケットを掛けてあげた。
「う……ん」
キラが寝返りをうつ。
その頬には涙のあとがあった。
「ソラ……」
キラは、何度も、何度も、夢の中でソラの名前を呼んでいた。
きっと辛い夢を見ているんだろう。
キラの顔が、苦痛で歪んだ。
キラは日曜日の夜、ソラが待つ家へと帰っていった。
その頃にはすこしだけ気持ちの整理がついたみたいで、
キラの頬にはうっすらと赤みが戻り、
ぎこちないけれど精一杯、あたしに笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、美夕」
「ううん……」
「もう、ソラのことは……いいからね」
「うん……」
キラは玄関で靴を履きながら、言った。
「私、帰ったらちゃんとソラと話し合うから」
そう言ったキラの目はとても綺麗に澄んでいた。
「……やっぱりまだ、ソラと別れたいっていう気持ちに変わりはないの?」
あたしがそう聞くと、キラは笑った。
「ううん! もう、諦めるのはやめることにした!」
その言葉にドキッとしたのは、あたし。
「この2日、ソラと離れてよく分かったんだ。私、やっぱりソラがいないとダメみたい」
……なんとなく、分かってはいたけど。
キラの言葉に、今度はあたしから笑顔が消えた。
「美夕、あのね。あたしやっぱり、ソラと地獄に堕ちるよ。だから美夕は、徹先輩と頑張って。ソラの誤解は、私が解いておくから!」
……明日からは、また、元通りの私たちに戻ろうね。
キラは最後にそう言って、家に帰っていった。
次の日の朝。
あたしはいつも通り、2人より一足早くバス停に着いた。
そして、しばらくすると。
「美夕~!」
いつもの方角から、そんな明るい声が聞こえてきた。
声の方を向くと、そこにはキラとソラがいた。
まるで何もなかったかのように、
2人で、
仲良く並んで歩いて……。
「おはよう、キラ、ソラ」
あたしも、何もなかったように、2人に笑いかけた。
キラの笑顔……。
あれから2人はきちんと話し合って、仲直りができたみたいだ。
ソラとはまだ一度も目が合っていないけれど、
でも、キラを見つめる優しい表情は、
キラのことが大好きないつものソラだった。
……よかった。
あたしは心からそう思っていた。
「あ、バスが来たよ-」
キラの声であたしはバスの方向に向き直る。
いつもと変わらない朝。
だけど、いつもと比べるとちょっとだけ朝の光がまぶしくて、
あたしは目を細めて2人から目をそらした。
あたし達の目の前で、バスの扉が開く。
ソラは笑って言った。
「ほら、先に乗って。レディーファースト」
そう言って、先にキラを乗せる。
……ソラと一瞬だけ目があって、あたしはドキッとした。
だけど、ソラは土曜日のことなんて何もなかったかのように、
あたしにも変わらない笑顔を見せたんだ。
「早く、美夕も乗って」
「う、うん……」
キラに続いてバスに乗るのを躊躇っていたあたしは、
そう言われるがままにバスへ乗り込んだ。
そして、そのあとをソラが続く。
…………そのとき。
それは、絶対に気のせいじゃない。
ソラが、ほんの一瞬だけど、
後ろから手を伸ばしてあたしの腰に触れたんだ。
あの傷と、ソラがつけたキスマークのちょうど上のあたりを……。
だけど、その後はまたいつも通りのソラに戻って。
あたしの横を通り過ぎて通路へと進むと、
吊り革を持って、その傍らにキラを呼んで。
あたしはいつもの入り口で、そんな2人を眺めていた。
ソラ……さっきのは何?
あたしは出来るだけ平静を装いながら窓の外に視線をうつした。
だけどね。
本当は、もう。
心臓が破裂するんじゃないかって思うくらい、
そのまま卒倒してしまうんじゃないかっていうくらい、
ドキドキして……
頭の中、パニクってたんだ……。