今までずっとあたしが必死に押さえつけていた想いは、一度口に出すと止まらなくなって。

あたしはパジャマの裾を力いっぱい握り締めて、

泣きながら、震えながら、必死にソラに語り続けた。


「あたしだって、いっぱい苦しんだんだよ?……先輩が大事にしてくれるのがすごく嬉しかったし……そんな先輩のこと、本当に、一番大好きになれるって思ってたし……」

ソラはあたしの目をまっすぐに見つめて「うん」って頷ずきながら、話を聞いてくれていた。

「それに、キラは大事な親友で……そんなキラがソラを好きな気持ちも、痛いくらい分かってて……」

「……うん」

「だから、自分だけが幸せになろうとしちゃいけないって思って……何度も何度も、ソラのこと諦めようとしたんだよ?」

「……うん」


「だけど、あたし……それでもね、あたし……それでも、ソラのことがね……」


その後は嗚咽で、言葉にならなかった。



あたしの話を聞いているうちに、ソラの瞳も涙で潤んで。

それを見てしまうと、胸がいっぱいで。



たった一言、

「ソラが好き」

そう言うだけなのに。




あたしはもう、何も言えなくなってしまった。





「もういいよ」

泣きじゃくるあたしを、ソラが優しく抱き寄せる。


「美夕の気持ちは、分かったから。だから──」

あたしの髪を優しく撫でながら、

「ペンションに戻ろう」

ソラはまるで小さな子供に言い聞かせるように、続けた。


「2人で、先輩とキラのところに謝りに行こう。それで、何回でも、何十回でも、許してもらえるまで謝ろう」

「……2人で?」

「そう。2人で。2人なら、怖くないから」

「……うん」


──2人なら、怖くない。

その言葉を何度も何度も繰り返しながら、あたしはソラの胸に顔をうずめて泣いた。


ガードレール下から響いてくる川の水の音は、昼間聞いたよりずっとずっと大きかった。

──昼も夜もなく1日中……ううん1年中、止まることを知らない川の流れ。


水の流れる音は人間にとってゆらぎだとかリラックス効果があるだとか、そんなの大嘘だ。

あたしたちのことなんて簡単に飲み込んでしまいそうな川音は、激しくて、まるで怒号のように聞こえた。



ふと、川の水が足元まで迫っているような気がして、

その流れに足を取られそうな錯覚に陥って、

あたしはソラの背中に回した手に力を込めた。



……いっそのこと、このまま2人でこの流れに身を任せることが出来ればいいのに。




あたしたちは、夜の闇の中、2人でいつまでも泣き続けた。








こうして、あたしたちは再びペンションへの道を引き返し始めた。

山道は暗かったけれど、月明りをたよりにできるだけ石や突起物の少ない場所を選びながら。

あたしたちは、手をつないで、ゆっくりと歩いた。



「なんだか、雨の日を思いださない?」

口を開いたのは、ソラだった。

「うん……懐かしいね」

ちょうど、私も同じことを考えていた。

雨の日っていうのは、バスで偶然ソラと会って、そのまま終点まで行ってしまった、あの日のことだ……。

「だけど、もう随分前のことみたい」

あれから、いろんなことがありすぎて──

あたしが笑うと、

「これからはいくらでも2人で歩けるよ」

ソラはあたしの手を強く握った。




そして、少しの沈黙の後、ソラはこう言った。


「──キラは、夜が怖いんだ」



「え?」

あたしは思わずそう聞き返した。

あのキラが、夜が怖いって……?





「美夕、やっぱり知らなかったんだ?」

「うん……」

「キラは、夜1人じゃ眠れないんだよ」


──初耳だった。

だって、今まで何度も夏のキャンプや修学旅行で一緒に夜を過ごしたし、

お互いの家に泊まりに行ったことだってあるのに。



あたし、何も気付かなかった。



小学生のころからずっと親友だと思っていたのに。

あたしの知っているキラは、いつも明るくて、自信に満ち溢れていて。

そんな弱い部分を持っていたなんて、思いもしなかった……。



「あたし、キラのことを本当に何も分かっていなかったんだ──」



あたしが落ち込んだのを察したのか、ソラが優しくフォローを入れてくれる。

「美夕が気にすることはないよ。キラはあの通り、自分の弱いところを人にさらけ出せないヤツだから。だからきっと、美夕の前では無理してたんだと思う」

「……うん」


ソラは神妙な口調で続けた。


「美夕に聞いて欲しいことがあるんだ。俺とキラの話……聞いてくれる?」



そして。


あたしが小さく「うん」と呟くと、

ソラは、あたしの知らないソラとキラの話を、ぽつりぽつりと語り始めた。



「夜になると、今でもキラは泣くんだ。『鬼が出る』って……」




「美夕も知ってると思うけど……ちょうど俺たちが小学校にあがった年に、うちの親の店が急に忙しくなってね」


うん──。
キラから何度も聞かされて、当時の事情はよく知っていた。

キラはよく、少し寂しそうに、だけどそんな両親のことをとても誇らしそうに、あたしに話してくれたんだ。


「2号店を出す話が出ると、父さんだけじゃなくて母さんまで、1日中店を手伝わないといけなくなったんだ。当時、父さんも母さんも、昼過ぎに家を出て、戻ってくるのはいつも朝方だった……」

「うん……」

知ってるよ──そんな意味を込めて、あたしは頷いた。


「それで、母さんは自分の代わりに、遠縁の親戚にあたる人に俺たちの面倒を見てくれるよう頼んだんだ」


──頼子って名前だから、「ヨリねーちゃん」。
ソラはその呼び名を小声で呟くと、話を続けた。




「ヨリねーちゃんは、当時大学を卒業したばかりだって言ってた。だけど就職難で仕事が見つからなかったみたいで、うちの家政婦をやらないかって話をもちかけられると2つ返事で快諾してくれたらしい」


そんな「ヨリねーちゃん」こと頼子さんは、家政婦になると同時に、ソラ達の家から歩いて5分の距離にあるアパートで1人暮らしを始めたという。

それは、キラとソラの両親の強い希望があってのことだった。


『世話をするのは、2人が小学校から帰ってきてから、夜眠るまで。
但し深夜でも、2人に何かあった場合はすぐに家へ駆けつけること』


──それが、頼子さんとソラ達の両親が取り決めた「契約内容」だった。


「ヨリねーちゃんはうちの家の鍵を持っていて、俺たちが学校から帰るといつも家で待っててくれたんだ。宿題を教えてくれたり、一緒にゲームしたり、晩飯の買い物に連れて行ってくれたり……すっげー優しい人だった」

「ソラは頼子さんのこと、好きだったんだね」

「そうだな。今思うと、あれが俺の初恋だったのかも知れないなぁ……。美夕、もしかして妬いてる?」

「……別に」


あたしがぶっきらぼうに答えると、ソラはクスリと笑った。







「だけど、俺よりキラの方がヨリねーちゃんのことを大好きだったんだ。やっぱり同じ女だし、本当の姉ちゃんができた気分で嬉しかったんだろうな……。ずっと、ずーっと、キラはヨリねーちゃんについて歩いてた」


ヨリねーちゃんと晩ごはんを食べて、
片付けを手伝って、
2人で一緒にお風呂まで入って。


「あのときのキラの嬉しそうな顔、今でもよく覚えてるよ」

「いい人がそばにいてくれて、よかったね……」



だけどソラはすぐに返事をしなかった。

そしてその後、「そうだな」ってため息混じりの暗い声。



「……だけど、1年くらいすると状況が変わったんだ」

その声の変化にはっとして、あたしは思わずソラの顔を見上げた。

明かりのない山道では、ソラがどんな表情をしているのかよく見えないけれど。



……でも、ソラは、どこか遠くを見つめていた。

ここではない、どこかを。



「ヨリねーちゃんに、彼氏ができたんだよ。それから、ヨリねーちゃんは変わった」





頭上で鳴ったパキッという音に、あたしの背筋がピンと伸びる。

それは、ソラが目の前に伸びる枝を片手で折った音だった。


ソラはその枝を無造作に足元に投げ捨てると、話を続けた。


「昼間は、昔と変わらない優しいヨリねーちゃんのままなんだ。……だけど、日が暮れると、ヨリねーちゃんはイライラし始めるんだ」

「……」

「椅子に座って、壁の時計をじっと見つめて。キラが構って欲しくてねーちゃんにいろいろ話しかけるんだけど、ねーちゃんはいつも上の空で」



そのうち、頼子さんは2人と一緒に晩ごはんを食べなくなった。

2人がご飯を食べている間に、お鍋を洗って、

食事をする2人の目の前に立って、空になったお皿を次々にキッチンに下げて、洗い物を済ませて……。


いつしかキラは、毎日1人でお風呂に入るようになった──。