「本当に、あとから片付けに来なくていいの?」
「大丈夫よ! 洗いものくらいだったら、私と美夕で出来るから」
「そう……。じゃあ、また明日の朝来るわね」
ダイニングテーブルに料理を並べ終え、エプロンを外すと、奥さんは心配そうな顔でそう言った。
「それと、暗くなったら出歩かないようにね。危ないから」
「泥棒? 物騒なの?」
キラが尋ねると、
「動物が出るんだよ。鹿や猿、それに熊もね」
先に玄関で奥さんを待つ旦那さんが、あたしたちを脅かすように言う。
「ヤツらは空腹のときはかなり強暴だから、くれぐれも気をつけて」
「イヤだ、怖ーい」
「そんなこと言って、熊よりキラのほうが強そうだけどな」
あたしたちはそんなことを笑って話しながら、奥さんを玄関まで見送った。
よっぽどあたしたちのことが心配なんだろう。
靴を履いた後も、奥さんは話を続けた。
「今日はお隣もお留守みたいだし、戸締りだけはしっかりして、何かあったらどんな時間でもいいから連絡をちょうだい」
「もう、奥さんは心配性なんだから」
「当たり前でしょ! あなたはご両親にお預かりした大事なお嬢さんなのよ」
奥さんはキラの肩をしっかり抱いてそう言うと、旦那さんに促されてペンションを後にした。
何度も、何度も、あたしたちのほうを振り返って、手を振ってくれた。
「……冷めないうちに、食べようか」
夫婦を乗せた車のライトがすっかり消えてしまうのを見届けた後、そう切り出したのはソラだった。
豪華な食事が並んだ大きなテーブルを囲むと、誰が言ったわけでもないのに、キラとソラ、あたしと先輩が隣同士に座る。
ペンションのお酒は奥さんが全部持って帰ってしまったので、乾杯はミネラルウォーターだった。
「もう、奥さんってばいつまでも私達を子ども扱いするんだから!」
「優しくて、素敵な管理人さんだよね」
あたしの言葉に、キラも笑顔を返してくれた。
奥さんの作ってくれた美味しい料理を食べながら、あたしたちはいろんな話をした。
管理人夫婦のエピソード、
さっきソラと先輩が旦那さんに教えてもらった滝の場所、
今夜お風呂に入る順番、
明日の予定……
会話がなくなると先輩がテレビをつけた。
チャンネルをあちこち変えて、その中から一番賑やかなバラエティ番組を選ぶ。
それを見ながら、あたしたちは不自然なくらい、声を出して笑った。
そんな、一見すると楽しそうな食事。
だけど、あたしたちは必死だった。
会話が途切れないように。
笑顔が消えないように。
きっと、誰もが気付いていたのかもしれない。
こんな風に4人で笑って食事ができるのは、これが最後になるかもしれないって。
──そして。
そんな予感は的中するんだ。
この食事はあたしたちにとっての「最後の晩餐」。
この時を最後に、あたしたちが4人揃うことは二度となかった──
食事を終えたあたしたちは、みんなでお皿を下げた。
あたしとキラがキッチンに回って、カウンター越しに、ソラと先輩から空になったお皿を受け取る。
4人分の大量のお皿も、みんなで片付ければあっという間で。
テーブルはすぐに食事前の何もない状態に戻った。
「さあ、美夕、2人で片付けしようか」
真っ先にシンクの前に立ったのはキラだった。
「うん」
あたしも服の袖を捲りながら、キラの後を追うように隣に立つ。
キッチンにはビルトインタイプの食洗機が備え付けられていた。
それに、お鍋や包丁などの調理器具はほとんど奥さんが片付けてくれていたから、あたしたちがすることなんてお皿を食洗機に並べるくらいだったんだけど。
キラが勢いよくシンクに水を流したところで、リビングから先輩の声が聞こえてきた。
「ソラ、ちょっと外を散歩しないか?」
その言葉に、あたしとキラの動きが止まった。
「……いいですよ」
だけど、ソラはあっさりそう答えると、先輩と一緒にリビングを出て行ってしまった。
あたしたちに「出てくる」とだけ言い残して──。
──残されたのは、あたしとキラ。
キッチンには、しばらく、水の音だけが鳴り響いた。
あたしが渡すお皿を、キラが受け取って食洗機に並べていく。
「……ねえ、キラ」
その沈黙を破るように、1回目にあたしがそう言ったときは、
水の音が大きくてあたしの声が届かなかったみたいで、キラは何も返事をしてくれなかった。
何から話せばいいんだろう?
今夜の部屋割りのこと、
昨日の電話のこと、
あたしの正直な気持ち、
そして、キラの本音──
話さないといけないことが沢山ありすぎて、何から話せばいいか分からない。
だけど、とにかく話を始めないと──。
あたしはお皿を渡す手を止めると、もう一度、ゆっくりとキラに話しかけた。
「キラ、聞いて。きちんと話をしよう?」
キラはすぐには反応しなかった。
だけど。
「ねえ、キラ!?」
声を荒げてもう一度あたしがそう言うと、
「──何が聞きたいの?」
キラはシンクに流れる水を見つめたまま、あたしの手からお皿を奪い取った。
「ソラから聞いたよ。さっき、バスを待っている間に2人で話をしたんでしょ?」
キラの声は今まで一度も聞いたことがないくらい低くて、冷たくて。
その唇は小さく震えていた。
キラは間違いなく苛ついていた。
ううん……苛ついているっていうより、静かに、怒っていた。
「美夕は何が知りたい? 昨日の電話のこと? 苑ちゃんのこと?」
あたしの前に手を差し出すキラ。
あたしは黙って手元にあったお皿を一枚手にすると、それをキラに渡した。
「それとも──どうして美夕に『ソラが好き』なんて言わせたのか、っていうことかな?」
そこでようやくあたしの目を見たキラは、背筋がゾクっとするほど冷たい笑顔を浮かべていた。
「私、美夕の本当の気持ち、知ってたんだ」
──クスクス、って。
キラは、クスクスって笑いながら、そう言った。
「……知ってた……の?」
「いやだー。もしかして美夕、本気で私にバレてないなんて思ってたの?」
早く次のお皿ちょうだい、なんて言いながら。
キラは続けた。
「フフフ。残念でしたー。バレバレだったよ」
その言葉に、あたしの顔は一気に赤くなった。
「何がおかしいの!?」
キラの胸元に、お皿を突きつけるあたし。
「あたしだって……ずっと、苦しかったんだから……。キラに言いたくても、言い出せなくて……」
キラはあたしの話を聞きながら、そのお皿を黙って受け取った。
「だけど、あたしじゃどう頑張ってもキラにはかなわないし……あきらめようと思ったけど、あきらめられなくて……どうしようも出来なくて……」
悔しいのか、恥ずかしいのか。
あたしの目から、次々に涙が零れ落ちる。
あたしはそれをキラに見られたくなくて、キラから顔を背けた。
キラはそんなあたしに、
「ひとりで悲劇のヒロインぶっちゃって」
吐き出すように、こんな言葉を投げつけた。
「ばっかみたい」
「何よその言い方!」
そんなことを言われて、涙を隠してなんていられない。
あたしは泣きながらキラを睨みつけた。
「ひどいよキラ! あたしのこと、そんな風に思ってたの!? ずっとあたしのこと、そうやって笑ってたの!?」
キラは、あたしが睨みつけても、大声を出しても、薄ら笑いを浮かべた表情を崩そうとしなかった。
ううん。それどころか更に落ち着いて。
ゆっくりと下を向くと、クスクスって笑いながら肩を震わせた。
「ソラがいけなんだから。……恨むんだったら、私じゃなくてソラを恨んでよね」
「……え?」
「いつだったかなー。美夕にも言ったことあるんだけど、覚えてない? 私、ソラに言われたの。『美夕はいい子だよな』って。……『キラがいなかったら、俺は多分美夕を好きになってたなぁ』って……」
俯いていたキラは、その視線をあたしに移した。
その目から、笑みはすっかり消えていた。
「たとえ私がいなかったらっていう仮定の話でも、私以外の女を褒めるなんて、許せなかった」
「……」
「だからね。美夕の気持ちは分かってたから、ソラは私のものだって思い知らせるいい機会だと思ったのよ。悪い芽は早めに摘んでしまわないと後々面倒だし、ね」
「……」
「ソラに、こっぴどくフラれてくれれば良かったのに」
呆然となるあたしに、
キラは同じ口調で「早く、次のお皿取って」と付け加えた。
「……友達だと、思ってたのに」
やっとのことで搾り出したあたしの言葉は、震えて、擦れて。
出しっぱなしになっている水の音にかき消されそうだった。
「やだ、誤解しないでね。私、今でも美夕のこと大好きだよ。……美夕が、ソラのことを好きじゃなければ、ね」
「……何よ、それ」
「あ! ごめん。ちょっと違うなー。美夕の気持ちはどうでもいいのよ。……私は、ただ、ソラが美夕に変な気を起こさなければ、それでいいの」
キラがなにか喋るたびに、あたしの身体からはどんどん力が失われていく。
「……あたしに『ソラを奪って』って言った言葉も、涙も、全部ウソだったの?」
「そうよ。私がソラから離れられるわけないじゃない」
「もしかして、キラの家に遊びに行ったとき……あたしがキラの部屋の前にいるのを知ってて、わざとソラと寝たの?」
「そう。美夕に聞かせてあげたくて」
あたしにはもう、涙を流す気力も残っていなかった。