「え……?」


はじめは、ソラの言っている言葉の意味が分からなかった。





「俺の声が聞こえたの?」

「……ううん。でもソラの携帯からだった」


「どんな話をした?」

「相手は何も……。ただあたし、絶対ソラだと思ったから、いろいろ言っちゃったよ? ……こんなの迷惑だとか、この前バスで無視した仕返しなの? とか」



あたしのその言葉をじっと聞いていたソラは、

目をつぶって上を向くと、ふぅーって大きなため息をついた。




「ねえ、ソラ。これって……どういうこと?」

「だから、その電話の相手は俺じゃなくて……」


あたしたちは目を見合わせた。


そして──


「もしかして……電話の相手って……」



あたしは体を強ばらせたまま、視線だけをソラの隣のキラへと移した。


もしかして……





キラは

いつの間にか目を覚ましていた。
















あたしが体をビクッと引きつらせて飛び上がったのと、

出入り口の扉が開いて先輩が戻ってきたのと、

キラが
「うーん」
って大きく背伸びをするのとは、



ほとんど同じタイミングだった。




「あー、よく寝た!」

キラは、ソラとあたしを見て、

「2人は寝なかったの? ……っていうか美夕、なに立ってるの?」

って笑った。


キラ……今の話、聞いてなかったの?


だけどそんなこと、聞けるわけがなかった。






「おっ、2人とも起きたんだなー」

すぐに両手にペットボトルを4本抱えた先輩が席に戻ってくる。


キラはそんな先輩から無邪気にお茶のペットボトルを受け取ると、

「うわ、冷たくて気持ちがいい!」

ってそれを自分のおでこにあてた。


そして、あたしの方を見ながら、

「あー、これでやっと目が覚めたよ」

って、もう一度気持ちよさそうに背伸びをした。













……あたしは、顔を強ばらせたままだった。



目の前にいるソラがどんな表情をしているのかすごく気になったけれど、

キラや先輩の前でソラを見る勇気はなくて。



あたしは、黙って窓側の席を先輩に譲ると、

元座っていた通路側──キラの目の前──に再び腰を下ろした。





キラとソラ。

どちらかが、

嘘をついてるの?

隠し事をしているの?




何が何だか訳が分からなくて、

すがるように先輩の顔を覗くと、




先輩は、

ほんの一瞬のことだったけれど、



ものすごく冷たい目でソラを見ていた。







それから約1時間。

あたしたちを乗せた列車は、山間の終着駅に到着した。


駅のホームに降り立つと、あたしとキラは並んで大きく背伸びをする。

「空気がおいしいね!」

キラは、あたしの隣で、気持ちよさそうに何度も深呼吸をした。


……電車の中からずっとキラの様子を伺ってきたけれど、何の変化もない。

どうやらあたしとソラの会話は聞こえていなかったみたいだ。

あの時、キラが寝ぼけていてくれて本当に良かった……。


そう思っての安堵のため息なのか深呼吸なのか、自分でもよくわからなかったけれど、

あたしも、隣のキラに負けずに、

「はーぁっ」

と思いきり空気を吸い込んで、青く澄んだ空を見上げた。



ここは全国屈指の避暑地。

一歩足を伸ばせば、そこは自然豊かな高原だった。

だけど、駅周辺はかなり観光開発が進み、辺りの緑美しい景色とは不釣合いなくらい賑やかだ。

コンクリートがむきだしになった駅を一歩出ると、古くからあるこじんまりしたお土産店が近代的な商業ビルに挟まれて肩身狭そうに散在していて……なんだか、寂しげに見える。


観光シーズンというわけでもない今の季節だけど、そんな町並みを行き交う観光客は予想以上に多かった。



だけど……

「……あーあ、タイミング悪いな。1時間も待ち時間があるよ」

次に乗るバスの時刻表と腕時計を交互に見比べながら、そう呟いたのは先輩。


オフシーズンの今、ペンションへ向かうバスの本数は通常よりぐっと少なくなっていた。


「でも、これだけお店があれば1時間くらい楽につぶせると思いますよ? 駅ビルにおいしいカフェもあるみたいだし」

あたしも、車内で読んだ雑誌で仕入れた情報で話に参加する。


「そうだね……だったら、バスの時間まで別行動にしようか?」


先輩は、キラとソラの顔を見ながら、意味ありげに笑った。






「どう? 2人とも、そのほうがいいよね?」


──それは、キラとソラの関係を“知ってるよ”っていう意味の込められた言葉だった。


2人はその意味をすぐ理解したようで、一瞬顔をこわばらせた。


……それもそのはずだよね。

だって、あたし以外の人にこんなことを言われるのは、初めてなんだから……。



だけど、そんな緊張が続いたのは束の間だった。

「そうですね!」

明るく、いつもの調子でそう言ったのは、キラ。

「先輩こそ、美夕と2人になりたいんでしょ?」


こういうときって、やっぱり女の方が度胸があるのかな?

キラには、先輩をからかう余裕すらあった。


先輩はそんなキラに少しだけ驚いたけれど、

すぐに「まあね」って笑い、その視線をキラの隣のソラに向けた。



「……ソラは? どうしたい?」




だけど、ソラの返事はなかった。

気付けばまた無表情に戻ってしまったソラは、目線だけを先輩に向けると、ただぶっきらぼうに

「どっちでも」

と答えただけで。


しばらく沈黙が続いた後、聞こえてきたのはキラの大きなため息。

あたしは、またさっきの電車のような気まずい空気が流れるのがイヤで、そのため息をかき消すように叫んだ。

「あたし、別行動したい!」


──それは、決してウソではなかった。


不機嫌なソラにビクビクしたり、

なにか隠し事をしてるんじゃないかって、キラの様子を伺ったり。


そんな息詰まる思いをしながらバスを待つのはまっぴらで。



あたしは2人の前から逃げ出したくて、

「先輩、行こう!」

そう言って、先輩の手を取った。



それから。

あたしと先輩は、駅のコインロッカーに荷物を詰め込んで身軽になってから、駅を出た。


そんなあたしたちの少し前を、それまでどうしていたのか、キラとソラが歩いている。


だけど、はしゃぎながら目の前を歩いているカップルが邪魔になって、チラチラと見え隠れする2人がどんな表情をしているのかなんて分からない。


でも、ケンカはしてなさそうだ……。

良かった……。



あたしは、そんな2人に気を取られすぎていた。


「美夕ちゃん、危ない!」

先輩の声にハッとして立ち止まると、ちょうど目の前の信号が赤に変わったところで。

あと一歩で車道に飛び出していたあたしのすぐ目の前を、勢いよくタクシーが横切っていった。


「あ……」

赤信号に、全然気付かなかった……。


「ボーっとしてたら危ないよ」

隣に並ぶ先輩の手が、自然に、あたしの手に伸びてくる。

「一緒に歩こう」

先輩はそう言って、あたしの手をぎゅっと握った。


「美夕ちゃん、香水変えたんだね」

信号待ちをしながら、先輩があたしにそう言った。


……そうなんだ。

あたしは最近、キラに貰ったムスクの香水を全然使っていなかった。

そして、前から使っていたフローラル系の香水に逆戻り……。

それは、名前に「ベビー」って言葉がつくくらい、甘くかわいらしい香りだった。


「はい。……あれは、私にはやっぱり似合わない気がして」

「うーん。確かにちょっと背伸びしてた感じだね。あれはあれでいい香りだったけど」


見上げると、すぐ目の前に穏やかな表情をした先輩の顔。


「でも、こっちのほうが美夕ちゃんらしくて、俺は好きだな」


先輩はそう言いながら、さらにその綺麗な顔を近づけてきた。




……このまま、キスされる。




どうしてだろう?

分からないけど、あたしはその瞬間、思わず下を向いてしまった。